日記

最近カレーばっかり作っている。今日も夜作ったし、昨日も2回つくってる。多分週5くらいでは食べてる。そろそろインド人のにおいになるんじゃないか、スパイスにまみれたあの独特のにおいに。

初めて海外に行ったのはタイ。そこでチェンライのマーケットに行った時だったか。どこからともなく流れてくる異国のにおい。それが今ではスパイスの匂いだったと分かる。はじめは少し不安になったが、今では逆に安心材料になりつつあるかもしれない。クミン独特の鼻腔を突くような匂いも、いい香りだなと思える。

というかむしろ外人からすると、日本の出汁文化や、味噌、醤油などの調味料を用いて作った料理こそ、異国の匂いであり味だろう。日本は島国だし極東だし、一番マイノリティな食文化だ。そう考えると日本のほうがよっぽど異国。定住していると、そういうことすら忘れてしまう。

僕はそんなに多くの国に行ったわけではないけど、食文化は面白いなと思う。米がとれない国では小麦が主食。ヨーロッパはパン食だし、アフリカではクスクスというものがある。また、同じ米であっても、タイ米と日本米では香りも味も腹持ちも全然違う。貧しい国ではタンパク源が少ないから、豚や鶏のほかに、犬や鳩、カエルなども食べる(食べたことある)。

そんな経験から思ったのは、割となんでもありだな、ということ。小麦をちねったクスクスなんて日本人の口にはパサパサして合わないし、犬なんて殺して食べたらめちゃくちゃ批難食らうだろう。でもそれが普通の国もあるわけで。だから常識やルールなんて、ある特定の時期の、特定の地域の、特定の人々にしか通用しないんだなと思った。

そのあたりのことを分かってから、自分しだいで常識やルールから自由になれるなと思うようになった。つまり自分を縛るひもは自分自身が持っているに過ぎない。ただ一つ、確実な命の事実として、生まれて、生きて、死ぬというプロセスがあって、僕はその生きる、ということを続けるために食べたり働いたりしているのだなと。その事実からだけは、ほんとうに逃れられないのだと思った。

が、自由になるのはそんな簡単なことではないなあとやっぱり思うようになる。既存の社会やそこに覆いつくす世間体、価値観。やっぱりそういったものを取り払った上で生きていくのは抵抗感が強い。そら当たり前だよな、簡単だったらみんなそうやって生きてる。僕にはサラリーマンの血が流れているんだなと。

だから僕は、ある種の割り切りをいつの間にかしてした。一旦脱ぎかけた世間体や社会性を、僕の身に纏わり付いていたものを、どこまでが自分の体で、どこまでが身にまとっていたものなのかを分かった上で、もう一度着なおしていた。

これからは、社会や慣習や価値観、世間体がしょうもないものだなあと分かった上で、そういうものが求める茶番をこなしていこうと思った。完全にドロップアウトできないなら、折り合いをつけながらなんとなく生きていくしかない。とはいっても、以前ほど自由になりたいとは思わない。自由の定義が自分の中で変わりつつあるから。

社会で生きること、もっと言ってしまえば生きること自体が、割としょうもないと分かったうえで、もう一度社会でしっかり生きると決めたということだ。こうやって順応する人がまた一人増えて、社会が再生産されるのかなとか思った。まあいいか。

結局、僕がなぜカレーを作り続けるのか、なぜ異国の食文化に興味があるのかはっきり分からない。でもそこには、社会に対する、ささやかながら燻った感情がちょっとあるな、と思った。なんとなく。