日記

人を好きになるということがまた分からなくなった気がする。錯覚というか、まやかしにしか思えない、恋愛感情が。自分の思い込みというか、決め付けで相手を見ていて、その見えた相手を好きになっているだけで、その人自体を好きになっているわけではないのではないか、と思う。まあこんなこと考えていること自体、センスないよな、恋愛の。まあいいや。

なんというか、僕に対してちょっとでも好意的に接してくれるなら、だいたいの人は好きになってしまう気がしてきた。だから、上のようなことを思っているのかな。僕はそれほど女性からの承認に飢えているんだと思う。普通に雑談してくれるだけでめちゃくちゃうれしいもんな、ほんとのことを言うと。それだけで心が明るくなる。

今の職場は、ちょうど男女1:1くらいで、過去から考えても一番女性と話していると思う。だから、大分ましになったと思う。女性と会話することが。普通に、まあちょっと男と会話するよりは丁寧に、会話すればいい。それだけのことなのに、ずっとできなかった。でもこれだって、これまでの経験がそうさせたんだろう。

字面で見たらたった2行の、それもあたりまえの気付きかもしれない。でも「心の底から、ほんとうに」そう思えるにはやっぱり経験が必要で。そうやって自分の身に付いた言葉というのは、ただ読んで頭で理解した言葉の何倍も役に立つと思う。たぶん何に関してもそうだ。経験があって、初めて言葉が生きてくる。だからビジネス本を読んだだけでは何もうまくいかない。

最近、上記のことも含めて、人との関わりで、「わかった、そういうことか」というのがとても多い。発達してきた気がする。たぶん卒なく社会人生活を送っている人なら、就職活動や、社会人1年目で気付いていることかもしれない。でも僕は、前職での数々の失敗を得て、今の職場で新人や年下の職員を見てようやく気付いてきた。

つまり自分を客観的に見ることが出来てきた、ということだと思う。で、これは、大人になることに繋がっていると思う。大人になるというのは、いろんな場面で社会的に適切な行動を柔軟に取れることだと思っていて、その中で、自己を客観的に見る能力は、適切な行動をとるのに不可欠だからだ。

これまで、自分を客観的に見ることが出来なかったから、いろいろ失敗してきたんだろう。まあでもいいや。分かってきたから。これからはその精度を上げて、場の状況を正確に把握することができれば、間違いは減っていくだろう。僕にとって、自分が他者からみて何者なのか、ということを分かるのは、難しかった。分かっていると思っていたときもあったけど、全然出来てなかった。そこにこの問題の難しさがあると思う。

で、話はつながるんだけど、こういう自己客観視の能力って、恋愛ですごい磨かれるんじゃないかと思った。異性へとアプローチするトライアンドエラーの中で、自分が相手にはどう見られているか、そういうことを嫌でも見せつけられる。そこで傷ついたり痛い目を見たりする中で、自分という人間を他者との関係の中で位置づけることが出来るのではないか。僕は、傷つくのを恐れて恋愛をサボってきたから、だめだったのかもしれない。