僕のバックグラウンド

目が悪くなった。パソコンのやりすぎだ。仕事でもパソコン、家でもパソコン。そら悪くなるわ。1.5→0.8になった。いよいよ来たか、という感じ。ピントが合わなくて乱視気味。最近誤字が多いのはそういうことだ。

僕のバックグラウンド的なことを書いていく。なぜなら、「やりたいこと」につなげるためだ。こういう経験をして、心から強くこう思ったから、これをやりたい。こういうストーリーがないと面接できつい。だからそのストーリーをつくるための元となる経験を書き出していこうと思う。まあ生い立ちで随所に出てきているから、それをピックアップした形になるだろうかと思う。ブログでやる理由は客観性を持たせ、整理するため。先にこうしておくと、あとでまとめる必要がないから楽だ、という理由。

まず僕には持病があった。幼稚園の頃にアトピーと喘息を発症。卵とそばのアレルギーもあった。まずこの時点で人間は平等じゃねえなということを感じていたと思う。もっといえば、僕より恵まれていない人なんかいくらでもいたし。幼稚園の同級生が難病で小学生になれずに亡くなったし。こういう経験から、公平性というのは、もちろん程度はあるが大事だと感じてきたのだろう。だからこそ大学のゼミではかいはつ途上国について学んだし、労働経済についても学んだのだと思う。大学で経済を学んでいるときに、機会の平等と結果の平等という概念を学んで、ハッとした覚えもある。

そもそも、平等じゃないな~と感じたのは僕が弱者だったからだ。ハンデを負っていたからだ。アトピーがかゆい、集中力がもたない、気力がなくなる。喘息で体力はまだあるのに走れない。など。そういう経験から、僕はどちらかといえば弱者側に立って世の中を見ていたかもしれない。

経済学では、市場の失敗というが、かならず競争に負けた弱者が出る。資本主義社会である以上。そしてその市場の失敗を埋めるのが―言い換えれば弱者を救済するのが 政府であり行政なのだ。だから僕は行政の立場から、市場の失敗を埋め、公正に公平性を担保する役割を担いたいと思ったのだ。というストーリーはどうか。これはこーむいんになろうと思った理由にはなりえるな。

「弱者」、「公平性」、「機会・結果の平等」、「市場の失敗」、「経済学」あたりがキーワードになってきそうだ。

そういう現実の残酷さや理不尽さを見てきて、正義感みたいなものが芽生え、現実にチャレンジしては諦めるみたいな経験をしているな。そのチャレンジの過程だけみると一貫性がないかもしれないけど、上記のキーワードを踏まえれば納得感が増す。ただ、なぜチャレンジの対象を代わる代わる変えたのかと聞かれたときに、正直に答えられない。正直に言うと、無理だと諦めた結果の連続でしかなかったから。僕にはとてもできないと思ったから。その前に自分の人生をなんとかしないとと思ったから。

そこをどう言うかだよな。経験の一部を言わず、一貫性を持たせるような経験の過程に再構築して言うか。まあそこは具体的に作るときに考えよう。持病から不公平は言いすぎかなあ。でも自分がそう感じたのは事実だしなあ。