日記

すっかり夏になってしまったなあ。昨日ネットニュースをみて梅雨が明けたことを知る。今年の梅雨は短かったらしいが、僕の時間感覚が極端に短くなっているから良くわからない。1週間くらいしか経ってなくないか。というか梅雨入りいつしたんだ。春が一月前くらいじゃないか。

そう感じるくらい、もう何も考えず勉強の日々を過ごしていたのだなと思う。気が付いたら夏、6月も終わり。何も悪いことをしていないのに、物悲しい。罪悪感を感じることも無いのに、僕は何をやっていたんだというような思いにとらわれそうになる。でもそういえば、昔からそうだったな。どこから沸いてきたんだこの罪悪感は。

この罪悪感というのは、面接に向けて自分の人生を振り返る中で自分の心の底に見つけた。いつも、何をするにも、自分は何か悪いことをしていないか、人に迷惑を掛けていないか、傷つけていないか、間違ったことをていないかという不安や疑いを持っていた。おそるおそる、周囲の反応をうかがいながらやっていた。

間違ってはいけない、失敗してはいけないという強迫観念じみた刷り込み、自分が恥をかくことは自分と関係のあるほかの人にも迷惑がかかること、人を傷つける言動をしたらもう一生信頼を失う、そんな白黒思考が不安や疑心暗鬼を生み、罪悪感にとらわれる原因なのかもしれない。

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僕は、気づく―頭ではなく心でわかる―ことによって、悪癖を手放せることをしっている。気付くにはまず観察をしないといけない。観察をした結果、何かしらぼやっと気付くことがある。これが冒頭でいった罪悪感にあたる。それを詳しく書いていくことで、全容を把握することができる。すると、そのことを受け入れることができる。この一連の流れをなぞれば、大分楽になれるのだ。

そして、手放す。観察の結果、気付き、全容を把握して心で受け入れたこと。それはもう自分の心の一部として明確に分離できるものになっている。だからいらないものだったら手放せる。観察する→気づく→把握する→受け入れる→手放す。僕はこの一連のプロセスに無職のときに気付いた。

僕は書くことで気づきたいのだと思う。もちろんそれだけのために書きたいのではないけれども、確実にそういう欲求はあるなと思う。何かもやっとしている、もう少しでわかりそうなことを書くことで把握する。頭の中からいろいろ引っ張り出して目で見て気づく。気づいたところで何かがたちどころに変わるわけではない。それはほんの小さな変化でしかない。だけどそれを積み重ねていくことはなんとなく大事だなと思うし、その小さな変化それ自体も嬉しい。なので書いていく。