決めてしまいたい

雨だった。何があったかはあまり書きたくないなあ。疲れた。今日疲れると分かっていたから、明日の午前は休みにしてある。寝過ごして普通に昼から出勤するだろう。そのつもりだしそれでいい。

最近カレーばっかり食べている。家で作るのもカレー、外で食べるのもカレー。選択肢をあえて絞るというのはけっこう楽だ。考えなくて済むから。カレーって決まっていたら、カレーでも何のカレーを食べようかと、さらに思索を進めることができる。結果、あんまり後悔しない選択をできる気がする。

http://inkyodanshi21.com/lifestyle/10289/

こんなことを書いているのは、これを読んで頭の中に残っていたからだろう。

> きっと僕らの中には、自分の責任が発生しない範囲で偶発的に選んでしまいたいという欲求がどこかに存在するのでしょう。


ああそうだな、まさに自分もそういう感覚をもっていたなと。自由だーと様々な選択肢を与えられれば与えられるほど、実は苦しい。


もう、どうでも良くなってしまった。というか、どうでもいいと思っていた本心が馬脚を現したというか。必要以上に苦しまなければ、仕事も、住む場所も、割とどうでもいい。夢だとか、理想だとか、もてたいとか、そういった世俗的な価値観は自分の中から消えつつある。だからなおさら「選んでしまいたい」という欲求がクローズアップされているのかもしれない。

昔からこの感覚はあった気がする。自由にやれと言われて、それって実は全然自由じゃないんじゃないのっていう気はしていた。皆のいう自由にどこか違和感を感じていた。結局振る舞いはなんらかの型にハマってるじゃんみたいな。それだったらなんとなくしっくり来たものを適当に選んじゃいたい。論理的に決定するよりもそっちのほうが納得感あるし。

まあなんかもう割りとどうでもいいという感じがする。現状がクソだから悲観的になっている訳でもなくて。将来を緻密に設計する実益なんて存在しないなということは身にしみて分かっているわけだし、できることをやりながら来た波にのれたら乗りながら、時に必死になったりして、気がついたら死んじゃってましたーでもいい。出来るだけ楽にやっていきたい。

こんなことを踏まえて考えてみると、自分の行動基準みたいなのは無いに等しくて、だから人になんで?って聞かれるとすごい困ることが多い。それを見越して理由を事前に準備していたりもするし。会話を円滑に進めるために。ほんとうは「気分」「なんとなく」「楽そうだから」。主体性もクソも無い。

ただ、人に本当に主体性があるのかと聞かれて、それを完璧に証明できる人なんているのかとも思う。みな多かれ少なかれ自分の置かれた環境や経験に影響を受け、そういったインプットに反応して行動してるだけなんじゃないかとも思う。そういうことに無自覚であるがゆえ、主体性があるとみなされていることもけっこうあるんじゃないか。

というわけでなんとなく気分転換したかったから書いた。飽きたので終わり。