仕事がひまだからとりとめのないことを書こう。勉強する気もしないし。昨日は職場の飲みだった。3杯のんだらもうかなり酔って話せなくなってしまった。酒にずいぶん弱くなったと思う。家でも全然飲まないしなあ。

酒はもういいな、という感じがしている。飽きたのかな、一連の流れに。酒飲んで、酔って、べらべら喋って、気持ち悪くなって、吐く。残るのはべらべら喋った時の罪悪感と吐き気。僕は酒飲むと人の悪口とか陰口を躊躇なく喋ってしまう。その時は一緒に飲んでいる人と秘密を共有して楽しいんだけど、後味のいいものではない。次の日に「あーこんなこといっちゃったなー」と後悔する。

これまでは、酒がないと本音を喋ることができないというのもあって、酒を正当化してきた部分もある。ただ今は、酒を飲まないと言えないことなら言わなくてもいいなと思う。本音を喋らないことで、人と仲良くなる機会を逃すということもあるが、まあ別に交友関係を広げたり深めたりしなくてもいいかなという感じになった。

酒も含めて、些末なものはもっと失ってもいいなと思う。嗜好品全般、趣味、主義主張、生き方、計画、プライド、そういう自分のアイデンティティを規定すると「自分が」思っている―それらはまるで海外旅行用のスーツケースについた剥がれかけたステッカーのような―ものを捨ててもいいなと思う。無ければないで生きていけるし、実際その方が楽な気がするし。

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生きていくことは、死に向かって一つ一つ選択肢を捨てていく過程に思える。10代や20代前半は選択肢が多く、可能性に満ちあふれていた(満ちあふれているように見えた)。それが現実に相対して、自分の性格や資質を知り、自分の思い描いていた理想に調整が入る。よしこれで行こう、と調整の入った理想の実現に希望を抱き歩み始めると、また上記のプロセスを辿り理想に調整が入る。こうして現実と自分の理想は収斂していくと思っている。一般的な人については。

いずれ死ぬ、結局これが生命の現実なのだからまぁあれだ、やりたいこと・やるべきことをすべてやることは多分できない。となると、結局は色々あきらめないといけないだろう。あらゆるものは有限でおちんぽジョイナスだということが分かってくる。