自分というのは実はなくて

自分なんていうのは実はなくて、あらゆることに対する反応の積み重ねを自分と呼んでいるのだと思う。さらに言えば反応を積み重ねることを経験と呼び、経験からぼんやりと浮かび上がってくるものを性格と呼んでいるのではないか。



そう考えれば、いまこの瞬間から自分を変えていくこともできる気がする。注意を払い、自分が反応することを選択する。もはやそれは反応ではなくて、気づきを得てから選択するということだ。反応は受動的・自動的であるのに対して、気づいて選択することは能動的・自覚的だ。



自由というのは上記のような能動的・自覚的な精神状態のことをいうのであって、際限なく奔放に行動できることではないと思うようになった。奔放に行動するというのは、結局のところそれができる環境に対する反応であって、つまりその環境に自分が縛られているというようにもとれる。



自分の意識に注意を払い、あらゆる事物から自分が受け取る刺激を見切ることが重要なとのように思える。それを繰り返し、習慣として定着させることによって、自由に近づくことができるのかなと思う。