子どもを生むということ


生物の遺伝の勉強をしていて思った。僕はこれまで生きづらかった。体的な面でもそれ以外の面でも。アトピー喘息アレルギー、アスペ気味コミュ障非社交的ネガティブ思考などなど。それでもなお、子供を生むのか。

(いない歴=年齢の僕は、まずは生めるかどうかから考えるべきだがそこは棚に上げて都合良く書いていく。そうしたいから。)

さらにいってしまうと、社会自体がどんどん生きづらくなっていく。少子高齢化、財政赤字、労働の代替、他国からの労働力流入、競争の激化。その中で、自分の遺伝子を分けた子供が生きていけるのか。そこは僕が考える範疇ではないかもしれないけど、容易に予想できてしまう。僕よりも確実に苦労するだろうなと。低く見積もっても、僕と同じくらいは大変そう。

そんなことを考えたら、子どもを生むことについてネガティブな気持ちにならざるを得ない。反出生主義という考えも実はあって、まあ究極的にリアリストになればこうなるのかなという感じはするので、うなずいてしまうところもある。

そもそも生命の連鎖については、深く考えてはいけないような気がするし、そういう考え方もある。とりあえず生めと。団塊の人達はそんな感じな気がするな。これもかなり説得力がある。なぜなら生むことについて理性を以って突き詰めて考えれば、ほぼ必然的に上段の考え方になってしまうから。みんながそうなってしまえば人間は縮小して滅びる。種の生存に反する考え方だ。となると、とりあえず生めは正しいようにも思えてくる。

まあこういうのはもっと色々勉強してから考えるべきなのだろうな。考える材料が足りなくてこの程度しか思い浮かばなかった。というか彼女ができたこともないし、結婚できるかもわからないし、子どもができるかもわからない。だから今考える必要はないなという感じで逃げておく。

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上記の夢を去年見て、生命の神秘を疑似体験したような気はした。自分の遺伝子を分けた生命に立ち会えるということ。これから生活をともにするということ。成長を見守るということ。そういうことを想像したらとても不思議な気分になったのを覚えている。初めて抱いた感情だった。こんな胸くそエピソードにも関わらず。

その時に書いた記事(悪夢)