なんの根拠なく

なんの根拠もなく気楽でいる
なんの根拠もなく堂々としている
なんの根拠もなく自分を肯定する
なんの根拠もなく自分を信じる
なんの根拠もなく生きる

この辺は、あまり理由を考えずに脳みそに刻み込んだほうがいいと思った。生きるうえでの前提としてのプログラムとして脳に埋め込みたい。この辺を根詰めて考えてる人って、僕みたいな暗い人のイメージ。細けえことはいいんだよ精神で処理すべき事項だと思う。でもそれができない。

逆にこの辺が生きるうえでの前提としてインプットされてる人って、いわゆるポジティブで世間的な人だと思う。きっと、すごく楽に生きられるんだろうな。

僕みたいに懐疑的な人は、生きることが壁をよじのぼることだとしたら、足場とか取っ掛かりがないような感じだと思う。その足場とか取っ掛かりが上記の根拠なく処理すべき事項みたいな。だから無批判に受け入れられるとグイグイ登っていけるイメージ。

そうそう、妹が英文法でつまづいていた時のことを思い出した。「なんで『私は』は『 I am 』で、『あなたは』は『 You are 』なの」「なんで『あなた』と『あなたたち』は同じ『 You 』なの」みたいな、英文法の前提部分でつまづいていた。そこは根拠を突き詰めたらハマるから、そういうもんなんだと覚えるんだよ、と言ったか思ったか忘れたけど、そんなことがあったことを思い出した。

多分上記のやつは英文法の前提と同じで、「そういうもんなんだ」と受け入れて生きていくものなんだと思う。

なんかこんなこと考えてたら、恋愛とかも似たようなものなのかなと思った。非モテ(僕)は恋愛の前提部分でつまづいている気がする。人を好きになるって、結局どういうことなんだろうなとか、自分に自信が無くて誰にも振り向いてもらえないだろうとか、僕と居てもあんまり面白くないだろうなぁとか、好意を向けられて不快じゃないかなとか。そんなことばかりだ。自分の憶測の域から出れなくて。