気持ちとか軸とかこころ

気持ちって気ままで勝手だなと思う。気が付いたら簡単に矛盾してるし、誰かの一言やちょっとした出来事で簡単に変わってしまう。超適当だ。昨日と今日は違う考え方をしている。明日にはまた違う考えになってるかもしれない。そしてその考え方の変遷は移り気な気持ちに基づいてることが多い。インド行ったら人生変わったとか、その典型だと思う。だから気持ちは信用できない。

こういうのはちゃんとしてる人はないんだろうなと思う、きっと、軸がないからこういうことが起きるんだ。主義とか主張とか、大義とか志とか、明快な価値観とか、はたまた現実具体的な目標とか、そういうものを持っている人は簡単にぶれないのだろう。心に大きく、しっかりと先まで続くベクトルを持っている。

でも僕としては、上のような軸はなんか怖いなあと思ってしまう。諸刃のつるぎのような気がして。ある日ぽきって折れてしまいそうな気がする。そして折れた軸は元に戻らない。方向感を失って墜落する。そんなことを想像したら、言語化された単純な軸を持つことは恐ろしいと思う。

だから曖昧に生きてくのがいいかなと思ってたんだけど、やっぱりそれだと生きづらくて。だったら自分の中に大きくて太い幹の木を生やそうと思った。幹はどっしりしているけど、空に向かうにつれて細くしなやかに、それでいて大きな空間を包むように広がった枝葉を持つ。太陽に照らされれば、緑は風にふかれてゆらゆらときらめき、エネルギーを取り込む。雨が降っても根っこから水分を吸収して、また、土が流されないように守る。自然と人が寄ってきて、幹に触れて見上げれば、穏やかな気持ちになって帰っていく。そんな木を心の中に育てよう。

簡単に持てるものは簡単に捨てられるし、また簡単に壊れたり壊されたりする。だからゆっくりでいいから着実に育てていこう。次第に気持ちに振り回されることが無くなって、ほんとうに自由を感じられるようになる気がする。