(書きかけ)楽しいとか没頭できるとか満足感があるとかどちらかというと自分のためになるというコンサマトリー的な軸でやっていきたい

有益だとか、金になるとか、人の為になるとか、そういう目的を見据えた動機よりも、「今」「自分が」「やりたいから」やる。それでなおかつ、それが生産的なものであればよいなと思っている。最近は。

コンサマトリーの意味↓(http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_consummatory.html)文献は読んだことないです。読もうかな。

「行為や関心の志向、あるいは、それらの基準となる価値の性質を示す対概念。自己充足的とは、それ自体が主体の欲求を充たす行為や関心の志向を意味するのに対し、道具的とは、ある目標を達成するための手段的な志向を意味する。パーソンズ、T. は、行為者の動機によって、行為の志向性を認知的、カセクシス的、評価的に区分し、そのうち、評価的行為志向を、道具的、表出的、道徳的に区分した。ここで道具的志向の行為とは、所与の目標の達成を目的とする行為をさす。これに対し、表出的志向の行為とは、即時的な欲求充足を目的とする行為を意味する。この表出的 expressive を自己充足的とのいう。
 ある行為が自己充足的か道具的か、あるいは双方の志向を兼ね備えるかは、その文脈や行為者に依存し、行為自体に規定されるわけではない。たとえば、健康を維持するための栄養補給としての食事は道具的であるが、食べること自体の快楽を求める場合は自己充足的である。あるいは、会話についても、ある内容を伝達することを目的とする場合は道具的だが、コミュニケーションを遂行すること自体に意味がある場合は自己充足的なものといえる」(高谷[2012:519])

高谷幸、2012「自己充足的/道具的」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:519]



目的志向(道具的)には、モチベーションがいる。モチベーションは、外から持ってこないといけない。ガソリンを給油するイメージ。だから、ガス欠で動けなくなることがある。常に何かしらの燃料を調達してこないと走り続けることができない。それが僕の持っているモチベーションというイメージだ。

上の文章を読むと、自己充足的に生きることは、ただ享楽の限りを尽くすとか、オナニーをし続けるとか、そういう自己完結的で無益な消費をすることに思える。でも、自己充足的(コンサマトリー的)に生きること=周囲に対して無益であるとは限らないのではないかとも思う。あ、上の文章でも書いてあるな。そう、僕は道具的であり自己充足的であることがやりたいの。

---ここからメモ段階---

勉強を楽しむ、道具的→自己充足的への転化→両立
趣味で書いていた絵が売れるようになる、自己充足的→道具的へ転化→両立

自己充足的でやってけるものをやっていきたい