また金沢になんとなく来てしまった④

2時過ぎまでフォロワーと遊んで、ホテルに帰って寝たのが3時。10時前におきる。チェックアウトって何時だっけ、とか思いながらだらだら準備していたら10時を過ぎていたが、特に清掃もこなかったので11時かと思う。もう少しゆっくりしようかと思ったけど、せっかく金沢に来てるのにもったいないなとも思い起きてチェックアウト。

ロビーについているカフェで一人紅茶を飲みながら、ブログ(またなんとなく金沢に来てしまった①)を書く。もうなんか書くことが癖になっていて、キーボードがないと不安になってしまうほどだ。書くほうの活字中毒か。無線のモバイルキーボードでタブレットに30分ほど打ち込んで予約投稿した。

カフェを出て片町をぶらぶらした。深夜2時でもあんなににぎやかで人が行きかう片町も昼は完全に眠っている。ラーメン屋すらほとんどやってなかった。犀川沿いをちょっと歩いたり、橋の上から写真をとったりした。でかい川があるといいよな。視界がひらけて開放的な気分になる。海もいいんだけど潮風がね。にしてもいい天気過ぎて若干の罪悪感を覚えるくらい。

香林坊方面に歩いていると宇宙軒食堂を発見した。昨夜ガールズバーで話に出てきたところだと思い、即入る。年季の入った店内。大きな鉄板を囲んでコの字型に席があり、油と豚の焼けるいいにおいがする。席について水を持ってきたときにとんバラ定食を頼んだ。端っこにあるテレビでは金沢ローカルの番組が流れていて、知らないおっさんがお宅訪問みたいなことをしていた。

ぽけーとしてたら来た。とんバラ定食。少ねえ。ばら肉は100gもねえんじゃないかと思うくらい。あとトン汁と漬物ちょっとと白米茶碗一杯。あとばら肉につける味噌だれ。味はめちゃうまかった。味噌だれがいいな。とんバラダブルにすればよかった。

もう金沢でやることはないなと思ったけど、ちょっとだけ尾山神社に寄る。特になにもなし。その後駅まで歩いて行った。FORUSをちょっと見てから小松方面の電車に乗る。もうなんか慣れたもんだな。金沢に関しては新鮮さがない。その代わりに安心がある。

加賀温泉駅で降りてバスで片山津温泉へ。総湯に入る。総湯というのは銭湯みたいなもの。銭湯は安いただの風呂だけど、総湯は安いししかも天然温泉。金沢はたぶん総湯に力を入れていて、去年和倉の総湯に入ったときも安い割りにとてもきれいで最高だった。片山津の総湯もそうで、これが東京だったら1500円は下らないだろうという質で400円。

2回入った。休憩している時に似たようなひとを見つけたで書いた人のブログを読む。恋愛結婚について、自分にも希望はあるんだな、と思わせてくれるような内容だった。感想は上記リンクから。

16時ごろ温泉を出て歩き始める。バスがなくて待つのもいやだし、寒いけど仕方ない。鹿児島の指宿に行ったときも、駅から温泉まで歩いたなと思った。田舎道を歩くのは好きだ。こんなところにも小さなスーパーがあって、薬局があって、たまに車が通って。つまり人の営みがあるんだなと思わせる。どんな仕事をしてどんな学校へ行って、どんな人達と休みを過ごして生活しているのだろう。そんなことを勝手に想像して勝手に思いをはせる。ときたま田舎は都会と比べたときに、異言語が飛び交う海外の都市よりも遠い世界の気がしてしまう。たぶん同じ日本だからこそ、生活の違いがリアルに分かるからだろう。気のせいか。

加賀温泉駅周辺まで来て、カレーのチャンピョンでカツカレーを食う。ゼミの卒業旅行で来たなここ。と思ったけど当時のことはあまり思い出さず。テレビでやっていた春高バレーを見ながらもくもくと食べた。あとは小松まで行って、飛行機に乗って帰っただけ。

また金沢になんとなく来てしまった③

フォロワーと会う。去年金沢に来たときに会っているので、セブンイレブンで立ち読みしている僕を見つけてくれた。適当に話しながら片町で店を探していると彼はキャッチの兄ちゃんと普通に話し始める。また後でと言ってその場はとりあえず立ち去ったが、その様子からけっこう遊び倒していたことが伺えた。去年は全く片町を知らないと言っていたのに。

ちょうど団体客が出てきたのを見計らって魚吟に入る。バイトのねえちゃんがめちゃくちゃ好みの顔をしていた。声が少し残念だったけど、顔がめちゃくちゃ好みだったのでこういうのもありだなとすら思えた。過去好きになった人と似た顔の人を見かけるととても惹かれるな。そのバイトのねえちゃんはショートでめが少しきつめのきつねっぽい顔で、去年マッチングアプリで会った子と似た顔をしていて、そのマッチングアプリで会った子は大学1年のころに入っていたジャズサークルの同期の子にとても似ていた。

たまにバイトのねえちゃんを目で追いながら、魚と酒を飲み食いしながら、話す。金沢で知り合いが出来て片町ではちょこちょこ遊んでいること。そこでキャッチの兄ちゃんと仲良くなったこと。仕事のことや彼のフォロワーのこと。その他最近のいろいろを聞く。途中から自分がけっこう話したいことを話してしまった。彼は僕よりけっこう年上で(あまり感じさせないが)、話を聞いてくれるから気付いたらいろいろぶちまけてしまっている。上の人と話すとそういうのも受け止めてくれるからいいんだよな。そこに甘えてはいけないけど。あとビットコインには気をつけてほしい。

3時間くらい飲んで店も閑散としてきたところで出る。交差点のキャッチの兄ちゃんに会いに行き、ガールズバーを案内してもらう。案内されたとこは女の子が一人しかおらず、ほかの客もいなかった。あ、これはと思いつつなんとなく話す。時折笑いながら、この辺のなまりもききながらそれなりに楽しんだ。まじで会話ってよく分からないな。自分と違う属性の人と会話するときに何をしたらいいか全く分からないから、適当に単語を拾ってつなげるように話す。全然ハマってないなと分かりつつ、ほかの方便が見つからない。というか見つける気がないんだろうな。でも明るい女の子でよかった。接客用なんだろうけど、それでもなんか元気をもらえるというか。まあそういう場所だよね。

1時間で出たらキャッチの兄ちゃんが外で待っていた。「おれ明日成人式なんすよ」と聞いてすごい若いなと。でもやっぱたくましさは感じる。経験が違うのだろうなとは思うし、というかそもそも生きてる世界が違うんだろうなと。そうでもないときっとやってけないところなのだろう。僕には顔やトークうんぬん以前に、そういう強さというか、男らしさっていうのかな、あとは余裕とか自信とか、そういうものをひっくるめて男らしさというのかな、オスとしての魅力か?まあそういうもろもろが足りないのだろうなと思った。

おっぱぶへ。なんかいまいちだった。フォロワーがとなりでおっぱいもんで抱きついたりキスをしているのを見るのがなんか楽しかった。一人目はなんか口が臭いしおっぱいも小さいし話もはずまず、二人目はめっちゃ太い子が来ておわた。おっぱいはでかかったけどなんかかたかった。でも二人ともなんか飲み物はおごってしまったんだよな。大体僕はガールズバーでもおっぱぶでも飲み物は頼んでいいよって言ってしまう。申し訳なさみたいなものに弱い。

酔いをさまして深夜2時過ぎに解散。帰り際彼の車を見て去年を比べて改造している箇所がすぐ分かったのは、自分でもすげえなと思ったし彼は感心していた。営業のときに車はめちゃくちゃ見ていたからなあ、お客と話すために。

こんな感じで夜は終わり、ホテルに帰ってツイッターをして寝た。風俗が微妙だったときの記憶の残り方は異常だからなあ、今回は思い出に残るな、よかったな。などと思う。

また金沢になんとなく来てしまった②

小松空港に降り立つ。去年来たときは雪が降っており、ハッチから出た瞬間雪国の空気を感じた。刺すような冷たさだけど湿度があるから、乾燥した空気とは違ってどこか優しいような空気。今年はまだ1月だからか、東京の空気と大差なく、むしろこっちのほうが暖かいんじゃないかとすら思えた。金沢はもう4回目。こじんまりした小松空港も見慣れたし、まず出たら何をしないといけないのかも分かっている。

出てすぐにバスの乗車券を買った。空後発のバスはけっこう時間がシビアで、一息ついていたりするともうバスは行ってしまっていたりする。というか去年は逃した。だから急いで券を買って、バスに乗ってから一息。イヤホンをして音楽を聴きはじめた。去年はまだ公務員試験の真っ最中で、気晴らしの旅行でありながらも、道中めちゃくちゃ勉強していたな。そんなことを思い出しながら、今年は気楽でいいなあと。

1時間弱くらいで金沢駅へ到着した。そのままバスを乗り継いで香林坊・片町方面へ。地方都市によくある光景だが、駅周辺はそれほど発達しておらず、少しはなれたところに繁華街がある。金沢も例に漏れずそんな感じ。歩いて行くのもいいけど、暗くなり始めていたし、何回も来てるしもういいかと。

香林坊で降りて片町のホテルまで歩く。またここにきたなあと。なんだかこの道を歩くと落ち着く。ここは僕にとって安全な逃避行先なんだ。誰の思い出も干渉してこない、縁の薄い場所。僕はここにいれば安全なんだと思える。何も悪いことは起こらない。安心していい。一歩一歩歩きながら、その時はこんな言葉にならない妙な安堵と高揚を感じていた。

ホテルにチェックインしてフォロワーに連絡。そしてごろごろする。しばらくすると飽きて外へ出た。それほど寒くもないし、散策しても消耗しない。片町の交差点にいったら、相変わらず若い人がたくさん。今日は特別多いんじゃないかと思ったら、成人式だったっぽい。特に思うことはなかった。にぎやかだなあと思うくらい。にしてもキャッチの多さが異常だ。

8時半ごろかな。フォロワーと合流した。以降は次に。

あのころはまだここではないどこかに行けると思っていた

あのころはまだここではないどこかに行けると思っていた。あのころはまだ今とは違う自分になれると思っていた。あのころはまだ、水面にきらめく光のような―ゆったりとしながらも思い浮かべればうっとりと見惚れるような 将来をえがいていた。

そんな思いがこもった将来の理想像がゆっくりと崩れていった。気がついたら波に消えてしまう、砂浜につくったお城のように。僕が作っていたのは、いかにもそんなもろい理想だったのだと思う。あっけなく、静かに崩れていった。僕のこころはまったく穏やかではなかったけど。

砂でつくったお城が崩れたのは人のせいだったかもしれないけど、いずれ波にさらわれてしまったのだろうと思ったりする。今となっては。だからこうなってよかったんだ。まだ人のせいにするという逃げ道があってよかったんだと。そんなことを思った。

もうどうでもいいや、と頭では思いながらもまだこんなことを書いているのはきっと立ち直れていないからだ。というか、まだどうでもいいや、と言い聞かせている部分があるかもしれない。だとしたら結局未練たらたらなのか。自分の心が分からない。

似たようなひとを見つけた

フォロワーのフォロワーで似た人を見つけた。その人は僕と性格も経歴も似ていて、なによりブログの内容が似ていた。自分の心象を起こった出来事にからめて生々しく書いている。もやもやしたものを吐き出しているような内省的な文章だ。僕と違うのは、その人は今結婚して幸せに暮らしているということ。昔の文章では僕かそれ以下のようなところでつまづいて悩んでいたのが、女性と付き合って交わり成長していっており、その様子がありありとつづられていた。

その人と僕は違うのに、共通点がいくつかあって自分と似ていると思ったからという理由で、親近感をもって読み進めた。ほぼ無根拠に近いような希望とやる気がわいてきた。僕もなんとかなるんじゃないかと、うまくやれるんじゃないかと。ただ、それは恋愛工学や自己啓発本のたぐいに触れることによって得られるような、ふわっと宙に浮いたような現実離れした自信とは少し異なり、妙にリアルだった。だからこそやっていこうと思えた。

その人との一つの共通点が、自己肯定感が低すぎる(その人としては「低すぎた」)ことだ。その人は社会やそこにいた女性との交わりによって、自己認識が修正されていったように見える。自分の殻にこもり必要以上に自己卑下をしていた状態から、相手の目線が意識された自己認識へと変化している気がした。確かにその人自身の努力と挫折の過程は苦しいものであったと見て取れるし、その過程を通じて成長した面も大きいとは思う。ただ、相手を意識した適切な自己認識によって、普段の言動の変化がしたのではないかとも思う。それがいわゆる「自信」なのかもしれない。ブログやツイッターを見てて、そんな憶測を勝手にしていた。

また僕がその人のブログやツイッターなどの成長過程(上から目線の表現になってしまって申し訳ない)を見て、ことさらリアルに見えたのは、結局何をすればうまくいくなんていう教訓じみたものはほとんどなかったことだ。ただ愚直に女性に対してアプローチを続け、運よく結ばれた。その経験だけが書いてあったことも大きかったように思う。一つ言えることがあるとすれば、その人のうまくいってもおごり高ぶらない謙虚さか。また、口数が少ないながらも、きっと周りの人には優しく接していたのだろうと思える穏やかさ(怒ったような描写はなかったから)。そういった優しく謙虚な姿勢こそが運を引き寄せたのかもしれない。きっと最後はそういうものが大切になってくるのだと思った。もちろんアプローチの数を増やして散々失敗した上で。

まあとにかく、なんというか僕はその人と似ているし、その人が頑張ってうまくいったんだから、僕も頑張ればきっとなんとかなるだろうと思えたということだ。そう思えるくらいその人のブログはリアルで、自分の将来を見ているようだった。その人は結局運がよかっただけかもしれず、このままの方向性で上手くいく保証なんてどこにもない。ただ、僕は不器用だから結局その人のように地道にやっていくしかないんだろうなと思った。一番しっくりくるし。

上記とは全く別で、年上の既婚フォロワーから言われたことがある。「一人見つければいいんだよ」と。今はそれがとてつもなく難しいことのように思えるけど、実際終わってみれば大したことのなかったように感じるのだろう。だからそういうアドバイスが出てくるのだと思う。いや、実際に大したことはないのかもしれない。自分の努力とタイミングと運と。全部がうまくはまった時に、結局そんな感じでなんとなく上手く行っちゃう時がくるのかもしれない。気負わず、失敗してもあまり気にせず、気楽にやっていこうと思えた。

またなんとなく金沢へきた①

何もしたくないけどここにはいたくない。そういうものが体に充満してきてもうどうしようもなくなりそうになったとき、飛行機とホテルを予約してしまう。行き先として真っ先に頭に浮かぶのは大体金沢で、今回もそうだったから何も考えず自分の思考回路に従った。一旦行くことが確定してしまえば、「ここではないどこかに行ってしまいたい」という衝動は和らぎ、何かあっても「今度金沢にいくし」と自分に言い聞かせることができる。

なぜ金沢なのか。もう何回か書いている気はするけれど、一言で言えば、自分にとってあらゆる意味で都合がいい地方都市だからだ。良くも思くも印象的な思い出があまりない。前々職で営業をやっていた時も通うことはなかった。歩いていてあまり思い出すことがなく、特に思い出の中で他人が干渉してこないのがいい。大抵の場所は、ここであれしたなあとか、ここはあの人が住んでいたなあとか、そういうことを思い出してしまい、家族や仕事、学校生活を連想することになってしまう。金沢はそういったものがなく、自分の中では割とまっさらに近い都市だ。それに程よく離れているから、さくっと行っても旅行感が出るし、帰ってくるのも割と楽なところもいい。

あとは金沢の雰囲気が好きだ。地方都市の独特の雰囲気が好きというのもあるが、その中でも金沢はなんか好きだ。なんとなくセンスがあって上品で、なんとなく外にも開かれていて、田舎特有の陰湿さみたいなのがあまりない気がする。そのへんが絶妙でちょうどいいから気に入っている。ただの僕の勝手な印象だけど。そんな自分にとって都合のいい場所が金沢で、勝手に気に入っている。

かといって金沢に来てどこかを見て回るかといえば、そんなことはなくて。もう何回か来ているから有名どころはすでに見ているというのと、ぶっちゃけもともと観光に興味はない。スペイン・モロッコに旅行したときも、一ヶ月くらいで写真は500枚くらいしかとらなかったし。そういったところからも僕の旅行はあくまでも現実逃避だし、街の雰囲気を感じながら少し心が浮足立てばそれでいいようなところがある「ああ、また金沢にきたなあ」と思えればそれでいい。駅前のでかい門みたいなものをくぐり、香林坊や片町を歩きながら、そこにいる生き生きした人を眺めるだけで気分が少し晴れる。

そんな金沢にまた来た。という話をまた次の記事で書いていきたいと思う。旅行したら旅行記を書くのも好きなんだよなあ。

自分の感情にいちいち付き合うのが面倒くさい / 何もしなくていい空間としての / 責任感とプレッシャーでうまく動けなくなる / 自分の言葉で焼き直しをすること

自分の感情にいちいち付き合うのが面倒くさい

今日の朝、自分の感情にいちいち付き合うのが面倒くさいなと思った。職場にいって気が重くなる仕事をやるのがいやだなあと思った。でもやらないといけない。そう、自分の感情がどうであれ結論は何も変わらない。やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないし、あるものはあるし、ないものはない。自分の感情は現実を何も変えない。

過去の事実は何も変わらないし、未来は何も分からない。いくら考えても思い悩んでも。今だけがリアルに存在していて、今だけ行動することができる。感情は自分の頭を離れて存在しない。そう考えると、いかに自分の感情や気持ちや思考さえもが汎用的でなく、勝手なものであるのかが分かる。そういうものをないがしろにするのはちょっと可愛そうだけど、特に大切にする必要もないと思う。ちなみに自分を大切にすることと、自分の気持ちや感情を受容して全肯定するのはなんか違うなとも思う。大切に思うその気持ちこそが自分を苦しめていることが往々にしてある気がするから。

何もしなくていい空間としての

何もしなくていい空間こそが、何もしなくていい時間をつくり、実際に何もしない状態を作っているような気がした。僕にとって何もしなくていい空間は温泉やカフェや旅先のホテルだ。実家でも自分の家でもない。何もしなくていい空間というのは、日常のことを何もできない空間だ。何もできないから何もしなくていいと自分を正当化できる。そういう場所でないと精神が休まらないような気がするから。僕は休みの日によく財布だけもって出かける。大好きなインターネットすら断ち切って半日以上過ごす。

自分はネット依存症だとは思うけど、ほぼ全てのものから離れて過ごす時間はとても心地よい。何もしない自分を自分で認めることができて、本当に何もせず数時間過ごす。この前は千駄ヶ谷のエクセルシオールで3時間くらいうとうとしてた。そういうゆったりとした時間こそが癒されるなとか思う。何もしないをする、なんて言葉は月並みだけれども、好きでよくやる。普段やらないといけないことに囲まれているから、これくらいしないとバランスがとれない。

責任感とプレッシャー

「あの派遣さん / アルバイト / 非常勤はよく仕事ができるな、比べて最近入った正規の新人はなあ~」なんて言葉をよく聞く。僕はこの言葉が出る背景を身をもって知ることになった。なぜなら僕は両方の立場を経験しているから。で、両方の心持ちがよく分かる。だから書かずにはいられなくなってしまった。

求められる仕事のレベルから生じる責任感やプレッシャーが、その人のパフォーマンスに与える影響は実はめちゃくちゃでかい。この一言に尽きる。さらに日本のだいたいの職場では常に相互監視が行われていて、そういった環境が上記の影響をさらに強くしていると思う。

ぶっちゃけ派遣やバイト非常勤に求められる仕事のレベルは低い。責任も大してない。最悪上に投げればいい。とにかく気楽な身分だ。電話も回せばいい。分からないことは全部聞けばいい。プレッシャーがかかるような場面は少なく、頭を使うこともさほど多くない。手を動かしていればいいような仕事が大半だ。そんななかで、プラスアルファの気の利く対応をしてアピールすればどうだ、即座に仕事ができる人間と評価される。そういう錯覚が起こるようになぜかなっている。で、割とそういうプラスアルファは楽にできたりする。普段の仕事は楽でプレッシャーもさほどないから。失敗しても失うものがなくて、思いっきりやれるから。そういう中で生き生きと仕事をしていると周りも目の色を変える。そんな感じ。「あいつは派遣 / バイト / 非常勤なのにすごいな!」と。

比べて正規はどうかというと、まさにその逆のメカニズムが起こっている。与えられた仕事のハードルは高め。当人からすればプレッシャーと責任感もあいまってそのハードルはさらに高く見える。また、同じ職場に派遣やバイトがいる。そういう人達をいやでも意識せざるを得ない。その人達よりいい仕事をしないといけない。そういった認識が、相互監視の職場環境の中で負のスパイラルを起こしがちな気がする。一つのミスで萎縮して、それがさらなるミスを呼ぶ。あいつは正規なのにだめだなあ、なんて言葉が頭の中でこだまする。言われなくても。ちょっとでも抱えているものがあるために、恐る恐る仕事をすることになる。少なくとも派遣やバイトよりは慎重になる。そうなると、「あいつは新人のくせに勢いがないな、そうかと思えばたまにミスをするし、ぱっとしないな。」なんてイメージがつく。

あいつは仕事ができる、なんて評価はぶっちゃけ雇用形態・職場環境・上司・評価者でいかようにも変わる。その中でも雇用形態の差でプレッシャーや責任感、当人の心持ち、周りからの目などはがらりと変わり、その結果当人の仕事ぶりも大分変わってくる傾向がある気がするということを言いたかった。だいたい僕のことなんだけどね。

自分の言葉で焼き直すこと

僕は数奇な人生を歩んでいるわけでもなく、どちらかといえばありきたりな人生を生きている。だからどこかの誰かと同じようなことしか書いていないし、それは自分でも重々承知している。正直このブログはほかの人から見ればインターネットのごみみたいなものだろう。僕自身もそう思っているし、だからこそ過去記事は非公開にしたりしてる。

それでもなお書き続けるのはなんでだろうと考えたときに、ブログを書くという自分の言葉で焼き直す作業が自分にとっては気持ちいいからだろうと思った。頭の中を整理しながら自己顕示欲を放出するオナニータイムみたいなものだ。書いているときが楽しい。気分が晴れる。そして、射精後の精子には全く興味がない。だから過去記事は非公開にしているというのもある。

28歳 彼女いない歴=年齢 素人童貞 大卒 正規雇用の土日

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何もないそらを見る

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人並み

わからなくなってきている。今まで自分がこうだと思ってきた信念や、やりたいと思っていたこと、好きだと思っていたこと。こう生きたいだとか、こう生きるべきだとか。楽しいことってなんだっけ。何がなんだかわからなくなってきている。仕事以外の時間で、考える時間をもってしまうと混乱してしまう。いろいろ見失ってしまった。見失ったのか、もともと虚像を追いかけていただけなのか。何もわからない。

人並みを手に入れて何になるのか。何にもならない。死ぬまで他人の目が優しくなるくらいか。どうせどんな状況になってもそれなりに生きていくし、あるタイミングで死ぬし。本心はどうでもいい。人から立派と言われて、すごいじゃんと言われて、自己顕示欲が満たされる。でも、本心とは違うからもらった言葉も抜け落ちていく。

なんで僕は全てはどうでもよくて無価値であとは死ぬだけだと気付いたのに、必死で人並みを手に入れたのだろうか。劣等感が強烈に反応したからだろう。自分の信念やぶれない考えとか、そういう高尚なものではなかった。ただ自分が惨めでいやで、そういう自分が他人の目にさらされることを自分が嫌悪したから、必死になった。

自分がわからなくなってしまった。自分というものはなくて、ただその時の欲と刺激に反応している何かにしか過ぎないっぽい。これから、どう生きればいいかわからなくなってしまった。自分の本心とはずれていると自分で知りながら、さらなる人並みを獲得すべく婚かつに奔走するのか、何か趣味に没頭するのか。いまは自分を和らげるものにしか触れていないし、触れたくないのかもしれない。

190104

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