音声日記

さむいな。まだ今年は暖房をつけていない。乾燥するよりさむいと思っているほうがまだましだからか。わかんないけど今はまださむさに耐えるのがそんなに苦ではない。コートもまだ着てないし。コートを出すのも面倒だし、着て行っても掛けるの面倒なんだよ。いろいろめんどくさいから現状で我慢してる。

なんだか最近はほんとうに仕事して飯くってしこってネットして寝るだけだ。頑張っていることもないし、そんな余裕もない。仕事で疲弊している。何かをやりたいとも思えないし、まあでもまだ2ヶ月半だし仕方ないかとも思う。それにしても仕事以外内容がない生活をしている。

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随分前にコンサマトリー的な生き方がいいなとか書いた気がする。意味はやってることそのものを目的とするような意味で、たとえばブログなら目標PVを掲げてバズる記事を書くというスタンスではなくて、楽しいからブログを書いているというような、自己目的志向。

前は目的主義よりコンサマトリーがいいなと思っていたけど、今は目的とか目標とかそういう目指すものがなくなってしまったから、コンサマトリーにしか成り得なくなってしまった。何かを糧に生きて行く、そういう姿勢をもう僕は本気で取れない。職場やその他社会性が求められる場面でその場しのぎのポーズしか取れない。

週末はいろいろ人と会ったりしたんだけど、そういう時に限って出来事そのものはあまり書きたくない。今日は月曜。余韻だけ残して仕事に向かっていった。僕は一人じゃない。彼女こそいないけど家族もいるし友達もいる。フォロワーもいる。何だかんだいろんな人とつながっているし、心配してくれる人もいる。たいして面白い人間でもないのに、ありがたい。いいやつではあるんだろうな、もてないけど。

今年、さっさと終わらないかな、と思う。もう完全に流しに入っている。もういい。8月9月に心からたくさん血を流して泣いた。なんだったんだろう、あれは。蓋をして生きている分、友達やこういうとこでぶちまけないと済まないところがある。もう傷は癒えたのかもしれないけど、かさぶたが気になってはがしてしまう。またちょっと血が出てくる。






回想


LUCKY TAPES - Touch!

前の職場の職員採用面接に落ちて、さらに同じ職場にいた好きだった女の子が友達の職員と付き合っていると分かった。その時これをずっと聴いていた。家に帰ってきてはこれをループ再生させて、飽きるまで聴いていた。人生の岐路が思わぬ方向に決まってしまったやりきれなさ、新しい一歩を仕方なく踏み出すちょっと陰のある前向きさ、もろもろを受け入れた諦め。この曲が完全にそういう曲になってしまった。

夢をみなくなった

現実のことばかり考えて、現実のことばかり書いている。窮屈な感じがしないといったらうそになる。でも僕は、映画や小説の後の余韻―ふわっと心が浮いて、なんかやってやろう!と思えるような変な高揚感―のほうがいやだ。昔は好きだった。だからそういうものを見たり読んだりした。今はなんだか気持ち悪く感じるから、創作物から離れるようになった。

なんでだろうか、そういうものが幼稚であり無意味に感じるようになったからか。人の心を支配する「物語」のうそ臭さに辟易するようになったというのはある。なんでフィクションを楽しめるのだろうか、というか前はなんで楽しめていたのだろうか。現実の惨めさを昇華させるようなストーリーを求めては消化して。後に残る余韻と違和感と、現実との落差と。

現実がいつも絶対正しい、ととある人がツイッターでたまに言っている。僕は正しいも誤りもなくて、ただ現実がそこにあるだけだと思うけど。ただ、結局この人は、この言葉の正しさを主張したいのではなくて、「いつでも現実が正しいと思って生きろ」という姿勢を伝えたいのだと思う。理不尽さや矛盾、そういうものに吠えてるだけじゃ何も変わらない。そういうものに立ち向かっても、変えられないことのほうが圧倒的に多い。

だから、とりあえず現実に沿うかたちで、納得できないけども、受け入れてできることをやるのがまだましということなのだろう。もうこの年になると、人生が大きく迫ってきて、自分に取れる選択肢なんてそう多くないことをまざまざと見せ付けられる。「まだまし」な選択肢でも、「お、けっこういいじゃん」となるのだ。昔はそんなことをするのはかっこ悪いと思っていた。おれはビッグになるじゃないけど、自分は社会的地位が高く財もあり、それなりの影響力を持った人になると無根拠に思っていた。

そういう過去の自分に嫌気がさしているから現実志向になっているのか。でも、そのくらい認識は変わるということだ。数年前までは、なぜか金がめちゃくちゃ欲しいと思っていたし、自由でハイクラスな暮らしがしたい思っていた。それが今では全然だ。これが、若く希望に満ち溢れた人から見ると「かっこ悪くなること」なのかもしれない。10年前の自分が今の自分を見たら確実に失望するだろうな。まあでもいっか。

 

人さまに見せようと思える文章を書いていないなと思う。読み返してみたらむちゃくちゃで恥ずかしいことばかりだ。自分自身がそうだからそうなってしまうのも仕方ないか。

金曜日が終わる。仕事はやまを超えて、来週からは少し落ち着く予定だ。そして今日で10月から2ヶ月、今の職場で働いたことになる。もう大体この仕事は分かった。定型的な業務が大半だからたいしたことはない。あとは調整業務と問い合わせ対応が課題だ。

現状である程度余裕をもって仕事をできてるから、やっぱり今のうちにいろいろとやっておくべきなのだろうなと思う。仕事の勉強、それ以外の地力をつけるためのこと、私生活の充実、かのじょなど。これがほんとうに最後のモラトリアムなのかもしれない。