交換が是とされる/されない

リアルの社会では「交換」が当たり前になっている。善意は善意で返す。人からお土産をもらったら、お土産を買ってあげる。お酌をされたらお酌する。挨拶をされたら返す。借りを作ったら返そうとする。貸しを作ったら返ってくるのを期待する。育ててもらったから親孝行する。お世話になった上司に報いる。

でも、フォローされてもフォローしなくていいよね?これがツイッターが好きな理由のひとつだ。交換が前提となっているのは息苦しい。好きだからフォローする。面白そうだからフォローする。嫌いだからリムーブする。うざいからブロックする。塀の外から見ていたい人はリストにぶちこんでのぞく。しがらみがめんどくさくなったらアカウントを消す。

交換が是とされず、純粋な自分の興味関心でやっていける。ツイッターを知ったとき、おぼろげながらこんなことを感じたからわくわくしたんだと思う。日ごろ口にだせない、ちんこまんこおっぱいが言い放題だーーーーーーーってなった。おれ以上に狂ってるやついるじゃん、やべえおもろい。最初の2年くらいはそんな感じで楽しかった。好きな人に好きなだけふぁぼできるのもよかった。一方的な好意(恋愛的なのではなく)を手軽に伝えられるのも好きだ。みんな一方通行でやっている世界。お互いの一方的な興味関心が交わったとき、はじめて接点が生まれる。よい。

だからこそ、僕はツイッターに交換を持ち込みたくなかったのだと思う。交換を持ち込んだらリアルの社会と同じになってしまうから。

のどかいわいたのでおわり

ぱらりらぱらりらぱっぱ

ぱらりらぱらりらぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひゅーーーーーーーーーーどかーん
ぴろぴろぴろぴろぴーーーー
ぺろりんちょ ぱっぱっぱ
ぽっわぽわぽわぽわぽわぽわぽわぽわ
ぴゅピュッピュッぴゅぴゅっぴゅぴゅるぴゅるびゅるびゅるっびゅる
じゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃりじゃり
ぴこぴこぴこぴこぴーこぴこ

加湿器をかった - 安心感

アマゾンでアイリスオーヤマの安い加湿器を買った。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B014IUCOVK/ref=oh_aui_detailpage_o00_s00?ie=UTF8&psc=1

つけて5時間くらいたつけど、肌の乾燥がなくなり、暖房をつけなくても寒さを感じなくなった。これは室内環境も良くなるし、電気代の節約にもなる。風邪も引きにくくなる。買ってよかった。

加湿器なんていうと、女子の使うものと思うかもしれない。でも、元アトピー+乾燥肌ですぐに粉ふきいもになってしまう僕にとっては必需品だ。高校の修学旅行にでっかい加湿器を持っていったくらいだ。

僕が物を買うということは無いと無理ってことで、そこまで我慢して吟味してから判断しているので、いかに自分にとって必要だったかということを改めて感じている。やっぱ買ってよかった。ほんと。安心感が違う。

---

安心感を感じていないと不安なのだと思う。いつもと違う環境に行くと、とても疲れる。ここ最近、面接とか試験でいろいろな学校とか庁舎にいっているわけだけど、その度にいろいろと気になってしまい、疲れる。

まず目的地に行くまでに、いつもと違う鉄道会社を使うのがとてもストレスだ。いつもは京浜東北線で、割かし車両が新しくキレイなのであまり気にしない。それでもにおいだったり汚れが気になることがある。人も物も。

それが東武・東京メトロとなるとかなりつらい。車両は古くにおいがきつい。駅も古くきたない。メトロに関しては地下にもぐらないといけない。これが圧倒的に苦手だ。めちゃくちゃ不潔だと感じる。実際きたないし。僕がわざわざつるみまで最寄り駅をずらして物件を選んだ理由はここにある。私鉄やメトロだったら東京に住む選択肢も大有りだった。

試験会場の中学校や高校につくと、これまた独特のにおいを嗅がないといけない。それに加えて教室は人口密度が高い。普段は子供が30人かもしれないけど、試験だと大の大人が30人詰め込まれる。試験中は当然窓を閉めるから空気が滞留し酸素が薄くなる。きつい。

感覚器官が少し過敏なのかもしれない。毎日東京メトロに詰め込まれるサラリーマンの神経が正直分からない。友人知人でも唐突に人に触られると変な声が出てしまう。大きな音に驚くとしばらく体がこわばってしまう。いやなにおいを嗅いでしまうと二三時間頭痛をひきずる。人の所有する人の運転する車に乗ると一日分の体力が持ってかれる。

書くことがないけど書きたい

なんか今月はかなり記事を書いていて、なんなんだろうと自分でも思っている。ただ惰性で書いている。なぜか書きたくなる。ツイッターにURL載せてないものもあるから、単純に自己顕示欲の発露というだけではないのだろう。

自分のいいたいことが書けたら嬉しいし、うまく書けなかったらもやもやするだけだ。でもなんでこんなに書くのだろう、モチベーションがあるというわけでもない。習慣になってしまったのか。いいたいことをうまく表現するという快楽を求めて、カタカタやってるのかもしれない。文章オナニーの奴隷になったということなのか。解釈を変えたら一気に気分が沈んでしまった。

ここ数年で、ツイッターが居づらい場所になってしまった感じがするというのもある。それが記事を延々と書く理由になっている気がする。前は今みたいにギスギスしていなかった。面白ネタとか下ネタで盛り上がっていた。僕は変態童貞非モテキャラとして自己卑下と性癖暴露でフォロワーを増やしていた。

今はやたら論争が多い気がする。発達障害やセクシャルマイノリティ、ジェンダー、そして政治。そんなネタのリツイートがたくさん回ってくる。そこで意見を表明しているフォロワーがいる。意見にとどまらず明確に反対の立場を表明し、攻撃をしていることもある。そういった姿を何回もみると、あーこの人とは関わりたくないなと思ってしまう。ミュートからリムーブ。

そんなギスギスした環境になってしまったから、意図せずフォロワーを刺激してしまうこともある。しょせん140字のツイッターだから、言葉足らずで誤解をまねいてしまうことがとても多い。不毛な議論をしてしまいそうになる。本当に無駄な時間で、だれも得しない。

そんなんだから、ツイッターで言いたいことを言いづらくなってしまった気がして、ブログに逃げてきたのかもしれない。結局やっていることは同じということだ。それがちょっと長めの文章になったというだけで。

僕は昔からけんかを遠巻きに眺めて、巻き込まれないようにしていた。自分が巻き込まれそうになったら、すぐに釈明するか謝って、身を引いていた。そんな感じなんだろうなと思う。

自分自身を洗脳してしまう

僕は不器用なので、ウソをつけない。ウソをついてもすぐにばれてしまう。前に営業をやってたときはこれが致命的だった。仕事にならない。つらい。今はただの事務なのでそれほど問題ない。

ただ困るのが、今やってる就職活動だ。ほんとうは志望動機もクソもなく、とにかく役人になりたい、楽そうで身分も担保されるから、という安直な理由でやっているので、そのままいくとまともな受け答えができなくなる。だから自分自身を洗脳する必要がある。

こんなにいいところがある自治体で働きたい。この施策がすばらしい。職員も魅力的で、職場も働きやすそうだ。ホームページや採用パンフレットをひたすら見て、四六時中志望動機を考える。そうすると、強引に見つけた理由でも本音のようになってくる。

僕はこの作業を新卒の就職活動でもやっていた。ひたすら自分に思い込ませた。ここで働きたいと。そうすることでしか、面接に臨む態勢をつくれなかったんだと思う。

この作業は非常に時間と精神力が必要で、一週間前くらいから気持ちを作らなければいけない。あまり早すぎると疲れ果ててしまうし、遅すぎると気持ちが完成しない。だから新卒のときも面接は5社くらいしか受けられなかった。今も面接までいった自治体は計3つだ。

就職活動という社会の入り口で、もはや社会にあまり向いているほうではないということが、新卒のときからなんとなく分かっていた気もする。

完璧主義

僕は完璧主義的なところがあって、これがあまり良くないものだと社会に出てから知った。とにかく社会はスピードが大事だ。一番目立つ要素だから。

期限ギリギリor期限切れで100%近い完成度の高いものを出すより、皆を出し抜いて早くに60%のものを出した方がいい。早く出すとアドバイスが貰えたりして、結果的によりよいものへとリバイスできる。そうやって器用な人は上の人の好感度を上げていく。概ね仕事の仕方というのはそういうものらしい。

というのは周知のアレであり、世間に風説が流布しまくっているものだが、僕はこのほかに、他人に対して何かするときにも、完璧主義が良くない作用をしていることに気づいた。

僕は他人に親切心で何かすることがとても憚られる。それには、完璧主義の影響があるのかもしれないと気づいた。このアドバイスでは理解できないのではないか? この助言は相手を傷つけないか? この言葉で相手はかえって迷ったりしないか? そんなことばかりが頭をよぎり、結局何もしないことが多い。

とりあえずやってみればいいのだ。反応が悪ければやめればいいし、微妙ならもっと話を聞いてみたりしてもいいだろう。自分でだめなら他の人につなぐというのもある。もっと気楽に善意で関わっていいのだと思う。悪いことをしようとしているわけじゃないのだから。

欠けているから補える。補い合うことで人間関係が深まる。弱みを見せるから他人が放っておけない。裏を返せば、全部自分で頑張ってやろうとするから、その姿勢がかえって人を遠ざけてしまう。それは言い換えれば「しっかり者」だが、時には人を忌避する性質を持つかもしれない。

しょく

足に毛布をかけながら冷凍バナナを食べている。スーパーで安いものを見つけるのが面白い。この前バナナが一房60円だったので買った。でも腐る前に食べきれるはずがない。だから冷凍してたまに食べている。最近急に冷えたので、こんな矛盾が起こっている。

ここのところ、かぼちゃが安くなってきた。昨日はかぼちゃをフライパンで焼いてパンに乗っけてチーズものっけて焼いて食べた。うまかった。一人暮らしをして旬の野菜や魚を知りつつある。

昨日はししゃもが半額になっていたので買った。十尾くらい入って161円。ちょっと塩をふり、レンジにかけて食べる。ひさしぶりのししゃもだ。うまい。ししゃもは魚の中でもちょっと変わった味で、なんかいいな。もちろん食べきれないので、五尾くらい食べてあとは冷凍庫へ。

そんな感じでコンビニと同じくらいの頻度でスーパーに行っていると、気づくこともある。お得なものを知るために、他の買い物客のカゴを見ることがあるが、出来合いのものや冷凍食品だけを買っている人も多い。子供連れでそういう人もいる。時間・体力的に余裕が無くなったら、そうなってしまうかもしれないのでなんとも言えないけれど。

僕はというと、やっぱり一人暮らしをしても実家での食習慣が身についているからか、野菜も肉も魚も週単位でみたらちゃんと買って、作って、食べている。一時期は外食のほうが安くて手間がかからないから楽だと思い、自炊をしなくなっていたが、やっぱりそれだと体の調子が良くないことに気がついた。健康が一番大事だなと思う。そして健康は、自分の食べるもので担保されていると最近は強く思う。

自分の中で再現性をもたせるための文章化

なんでこんなことをやってるかって言ったら、頭の整理ができるし、ぼんやり分かっていることがくっきり分かるようになったりするし、気づいたことをニュアンスまで含めて思い出すことができるからだと思った。

最後のことがタイトルの内容にあたる。僕にとってこれは重要だ。ある時にハッと気づくことのできた教訓めいたことだったり、過去に言われた言葉の意味だったり、あの時の感情の理由だったり。そういったものの中で、忘れるべきでないと思ったことは、出来る限り言葉を尽くして書いている。

スペイン・モロッコの旅行記なんてまさにそれで、あの時に気づいたことを忘れたくないとか、あの時の情緒を書き残したいという思いが強くて、忘れないうちに頑張って書いた。全日程を書くことはできなかったけれど。

僕はこれからも節目節目で、強い気づきや感情が湧き起こったとき、ある時は衝動的に、ある時は感傷的に言葉を打ち込むのだろうと思う。この行為は自分にとってかけがえのないものであると思っている。今は。

浮かんでは消える思考や感情をよりリアルに細かく描写したい。誰の為でもなく自分のために。でも誰の目にも触れないのは寂しくて、ちょっと読んでほしいからブログにしている。

自分がきたないと思ってしまう

今日仕事中に、なんで自分は異性に抵抗があるのかというか、なんで申し訳なさみたいなものを感じるかということを考えていた。そしたら割とすぐにポッと浮かんできたのが上の言葉だ。

僕は幼稚園から大学中ごろまでアトピーを患っていて、○○菌だ~逃げろ~とか、そういういじめはされなかったんだけど、自分ではかなり気にしていた。症状はかなり辛かったし。周りも内心うわーと思っていたと思う。実際、いまでもアトピーの人をみるとつらくて目をそらしてしまう。

今はほとんど治って(今の状態になったのも社会人二年目とかだけど)、ひどかったところに跡とかしわが残っているくらいだ。アトピーの人は見たら分かるだろうけど。

僕は皮膚病を患っている自分を肯定できなかった。自分自身をこれでよしとできなかった。病気と自分を切り分けて見ることができなかった。だからずっとこんな状況で今に至るんだろう。この持病を抱えながらも異性とうまくやってる人はもちろんいて、そういう人は自己肯定感をもっている。病気は病気と割り切り、日々の生活を楽しんでいた。

僕にはそれができなかった。今もできていない。自分は汚らわしいものというアレにとらわれている。スキンシップとかボディタッチとかが無理だ。過敏に反応してしまう。自分を肯定できない。いやでもそもそもクズだから仕方ない。

まぁでも、この件でも悩みまくったけど、どうでもいいかという気持ちになりつつある。そのうち解決できればいいし、最悪できなくてもいいか。なんとかソープにはいけるようになったし。

 

パットメセニーを久しぶりにきいていた。たまに聞くといい。大学のころは腐るほど聞いていた。いい音楽はいつまでも色あせない気がしていい。古いことと色あせていることは違うような気がして。白黒の演奏動画であっても生き生きしているのは伝わってくるし。これなんかがそう。



これなんかもそう。



こういう貴重な動画は無くならないでほしいようつべから。それにしても、ジャズの楽曲の著作権とかどうなってるんだろう。音源はレコード会社がもっているのかな。楽曲自体の著作権は時効で切れるのかな。よく分からない。よく分からないままでいいので調べない。

---

話題を変えて何か書こうとしたけどとんだのでおわり

なんでもシンプルなのがいい

楽しみがインターネットとオナニーとジャズくらいしかないな。これはもう、言い換えると全部オナニーかもしれない。僕はオナニーが好きな人間だ。オナニーは疲れるんだけど、またやりたくなる。気持ちが良いから。もう少し人のためになることをしたほうがいいなとも思う。日々の生活のなかから少しずつ増やしていきたい。ちょっとしたことから。

なんでもシンプルなのがいいなと最近よく思う。僕はいまのワンルームマンションに来るとき、荷物はダンボール2つだった。もちろん家電類は全てアマゾンで購入して届けてもらうようにして、持ち込みのないようにはしたが、それでも少ないと親から驚かれた。

新しい生活がはじまったら足りないものがたくさん出てくるんだろうと思っていたが、そうでもなかった。やっぱり必要と思っているほとんどのものはいらないんだなと。

部屋の写真をツイッターにアップしたらミニマリストと言われた。そうなんだろうと思う。最悪ご飯と服と寝る場所があれば生きていけることを知っているから。ものにほとんどこだわりがないから。無いならないで工夫して乗り切る楽しさも知っているし。

最近は、思考ですらいらないものを削ぎ落としている。オッカムの剃刀。スマホを見ない。ツイッターのタイムラインを見ない。テレビを見ない。ほしいなと思った情報だけを取りに行くようにしている。取捨選択は、まず捨てることからはじめるのがいいと感じている。

物でも思考でも、脱ぎ捨てて楽になる感覚が好きというのもあるのだろう。断捨離中毒はまたそれで問題だが、そもそも徹底して物や思考を減らす努力もできないし、していないから大丈夫だろう。そういう中途半端なところが僕の性質でもあるし。

ツイッターについての認識 他

最近まではツイッターこそが自分の居場所だ!みたいな認識だったけれども、今はツイッターもいくつかある居場所のうちの一つだと思うようになった。

ツイッターをやってて不快な思いをすることが少し増えたからかもしれない。それは僕がちょっと変わってきたかもしれない。いい加減人の人生を見るのにも飽きてきたし、改めてそこにはあんま意味がないなと前より強く思うようになってきた。根本的に自分の人生と関係がないものだしなあ。人は人、自分は自分ということで。

で、何を言おうとしたのか、そうだ。最近はツイッターを楽しむものではなくて、孤独感を和らげるツールとしか使っていないきがする。なんとなく開いて、たまにつぶやく。取りつかれたように下ネタを言うこともすくない。またストレスが溜まったらいうかもしれないけど。

---

インターネット上の記事を読んでいて、自立とは依存先を増やすことみたいな、ありがちなことが書いてあった。僕もいままでの学生生活で、いくつかのグループみたいなのになんとなく属していて、適当に付き合っていた。そうするのが自分にとって楽だと知っていたのだろう。

そしてこれからもそういう戦略でやっていけたらいいなと思っている。ゆるくて弱いつながりを自分のできる範囲でなるべく広く持っておきたい。強いつながりはほんの一部でいい。

人間関係における貸し借りが苦手なのだと思う。強いつながりだと、お互いの貸し借りが非常に重くなる。そういうのを外から見て、あーちょっと無理と思って生きてきた。僕が家族とか血縁関係から一定の距離を置きたいのもこれかもしれない。お互いの貸し借りの認識の齟齬から対立とかはじまるのもあるし。

ゆるいつながりだとその辺が曖昧でも許される気がする。許されなかったらその人は自分から離れていくだけだし、そもそも弱いつながりだから離れられても特に問題ない。若干さびしさはあるけど致命的ではない。

僕はツイッターのゆるくて弱いつながりが好きだったんだと思う。でもなんか自分自身がツイッターにのめり込むことで、自らツイッター上のつながりを変化させてしまった気がする。もっと奔放に曖昧にやっていた数年前のほうがよかった。でもツイッターから距離を置くことができてよかったとも思う。

組織で生きていける気がしない

組織で生きていける気がしない。数年ならいい。今の職場でもう1年が経とうとしているし。でも正規で3年とかなると多分またかなりきつい思いをするんだろうなぁと思ってしまう。

僕は表面上のあたりさわりのない人間関係ならなんとかやっていける。それが気の合わない人とであっても。ただ、仕事が絡んでがっつり関わり合うようになると途端にボロがでる。関係を修復する術も知らないし、悪化していく一方だ。友達ならそれでさよならで良いが、仕事でそれはだめだ。

そんな僕がまた正規でやり直そうとしているんだけれどもこれで良いのだろうか、と思うときがあって今日も思った。まぁでもそれ以外にやってく方法を思いつかないしこうするしかないんだけれど。

まあ日々できることをやっていこう。

寒い

― 今年もやってきてしまうか、冬が

さっきスーパーに行くため部屋を出た瞬間思った。完全に冬が来る。今年も来る。毎年孤独感にさいなまれていたのに今年も来る。一人暮らしでさらに独り身なのに。

冬が嫌いなわけではない。むしろ季節の中では好きなほうかもしれない。ただ、こう感傷的になってしまう気持ちを抑えられないというか、まぁ端的に言うと今年もだめでしたね僕、ということだ。

寒さが孤独感を引き立てる。街行くふたり組が目に付く。あぁ、今年もこの感情から逃れられなかったなと思う。毎年こんなことを繰り返している。しかし、感情の濃度は年々薄まっている。それが逆に怖い気もする。

ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲とは 漫画「銀魂」で登場する大砲である。 その形から男性の下半身に存在するようなものを連想してしまうが、ゴールデンタイムでテレビ放送できたものであり、決して卑猥なものではない事をここに明記しておく。 この大砲を見かけたらこう言おう。 『 ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか、完成度高けーなオイ 』 と。

疲れた。昨日おとといと面接だった。昨日は確実に風邪をひいていたが気合で乗り切った。のどが痛くて龍角散のどあめ6個くらい食べた。昨日家に帰って、しこったら緊張が解かれてだるさが襲ってきた。頭が痛く体が熱い時間が続いた。仕事いけねぇな、休もう。そう思いながら寝た。

朝起きて、職場に電話して休みを伝えた。今の職場は非常にゆるいのでこういう時にすごい救われる。シャワーを浴びてはげ薬を飲んで、たんが吐かれた大量のティッシュを捨てた。風邪を引いたのはたぶん今年の1月ぶりか。引っ越してきてから初めて風邪を引いた。一人だと大変だというが、今回はそんな重くなかったからか、何も不自由しなかった。面倒だと思ったのは、実家からりんごが届いていたのを思い出して摺って食べたくらいか。

そんなことを考えられるくらいには体調はましになったので、何か食おうという気分になった。スーパーで何かかって作ろうかとも思ったが、やっぱそんな気力はないなと思って、王将に行くことにした。外出たらめっちゃ寒かったし。

11時の開店とほぼ同時に入店したが、結構客が入っていて驚いた。暇そうなおっさんとか学生とかおばさんとか、まあ月曜の昼間から王将に来る人も結構いるんだなと。

餃子とチャーハンとラーメン全て食べたかったが、全て食べると値段がはねてしまうので、餃子二人前と王将ラーメンを頼んだ。餃子はたくさん食べたい。満足感があるし。チャーハンはスーパーで売っている冷凍のやつでも十分うまいので、また今度にするかと諦めた。ラーメンは絶対食べたかった。

王将とか日高屋とかのラーメンは、凝っていなくて逆に好きだ。中華麺とそれなりにうまいスープ。人気ラーメン店とかと比べると点数は60点くらいだが、たまに食べたくなる。躊躇無くがっつける。がっついてももったいないという気持ちにもならないのがいい。美味しさだけが食欲を満たすのではない。

さいごのことば

「短い間だったけど、ありがとうね」

別れ際にこんなことを言われたとき、僕の中で何かがすっと離れていくのを感じた。それまで、僕の心は離れよう離れようとしていたのだけど、最初からそんな必要はなかったのだと感じた。引き留められていると感じていたのは僕の妄想だった。というか彼が分かってやっていたのか、それとも無自覚にやっていたのかはわからないが、とにかく途中からは茶番に近いようなものだったのだと気づいた。

初めから僕と彼の間には大きなギャップみたいのものがあったにも関わらず、僕はそれに気づかなかった。気づきたくなかったのかもしれない。彼の振るまいが巧妙だったのかもしれない。途中までは本気だったのかもしれない、でもそれは、途中からただやり過ごすだけの茶番になっていた。

「短い間だったけど」この言葉を聞いた瞬間、認識が初めから違ったのだと悟った。彼にとっては20年以上の中の3年に過ぎないが、僕にとっては3年の中の3年だった。これからそれが10年の中の3年になり、また彼と同様に20年の中の3年になっていくのだろう。しかし、当時の僕にとってみれば、あの会社で過ごした3年は紛れもなく社会人生活の100%であって、上司の彼の影響力は強大だった。そんな彼があの時、僕に最後に言った言葉だった。

「短い間だったけど、ありがとうね」

僕は、いつものように口角の両脇をぐいっと引き上げ、両目尻を口角に引き寄せた。
引きつった笑顔で、ワントーンあげた声色で、しかし控えめに言った。最後までいつもの調子で。

「ありがとうございました」

すっきりとした寂しさを感じながら、真っ直ぐ家に帰った。

(書きかけ)埋め合わせる 満たす 求める

さびしさを自分以外のもので埋め合わせてもなんの解決にもならない。自己顕示欲を満たす為に他人の歓心を買おうとしてもなんの解決にもならない。そとから求めてもだめだ。なんか

しこったらどうでもよくなった。ちんぽ痛くなるまでしこるのはまじで久しぶりだ。

今日、水タバコを吸いながらある本を読んでいた。タブレットで。その本は私小説的なもので、けっこう性描写が多く、かなり興奮してしまった。家に帰ってから割とすぐしこった。そしてその本のつづきを読んで寝ようとしたんだけど寝れなくてしこって今。

アダルトビデオには飽きてきた。俗に言うメーカーが製作しているものはもうほとんど見ていない。素人の盗撮ものとかオナニーものとかばっかり見ている。「個人撮影」でよく検索している。

僕はリアルなエロさをもとめているのだと思う。だから最近は、所詮セックスごっこに過ぎない風俗にも行く気にならないし、作られたアダルトビデオも見ない。それだったら、今日読んだ本の性描写のほうがよほどリアルに感じられる。脚色はもちろんあると思うがそれを考えてもそう思える。

自分にとってリアルなエロさとは、現実として男女が(曲がりなりにも)合意した上でのセックスがあると感じられることだと思った。それを感じられるのは、セックスだけじゃなくてその背景とかお互いの関係性とか、そういうものを見たり知ったりするからだと思う。

気持ちよく吐きたい

 

酒を飲みながらジャズを聴いているとき、ジャズはなんていい音楽なんだろうと思う。こんなに酒と合う音楽は他に無い。僕にとっては。とにかくスウィングとグルーヴが気持ちよくて、酒が進むし、酒がすすめばさらに心地よくなれる。

ジャズは脱力したくだけた音楽だ。プレイヤーは究極に力が抜けている。そしてプレイヤー同士セッションにおいて、言葉ではなく音色とリズムを通じてコミュニケーションをとっている。たまに明らかに食い違いや齟齬が起こっていて、そういうのを聴くのもおもしろい。アドリブでフレーズが出てこなくて焦っている様子とか。

酒と一緒のときはMajor調の曲を聴くのがいい。マイナー調の音楽だとまっさかさまに気分が落ちてしまうことがあるし。あとは、テンポの高すぎる曲だと飲みすぎてしまうので、ほどほどの曲がいい。

ジャズバーにいって酒を飲めばいいじゃないかという声が聞こえてきそうだが、だいたい自分好みの曲が流れていないし、音の調整だってできない。家なら、あ、この曲飽きたわってなったら即かえられるし、Youtubeで漁りながら聴いていれば思わぬいい曲に出会えることもある。そしてツイッターをやりながら、ブログを書きながら聴くこともできるし。超オナニーだな。

自分がなるべく楽に生きることができるように環境を構築したり調整したりすること

最近よく思うのは、自分がなるべく楽に生きることができるように、あたらしく環境を構築したり、もしくは既存の環境を調整したりすることは大事だということ。自分がマジョリティで、優位に立て、能力を発揮できる、そういう土俵とか居場所のようなものを構築する。あるいは、今自分のいる環境の中で、自分がやりやすいように工夫して調整していく。そういったことをしていかないとジリ貧だなと思った。

たとえば、自分がウェイの中にいたら弾かれるしそもそも耐えられないけど、ガチコミュ障の中にいたら多少優位な立ち位置を得ることができるかもしれない(かもしれない)。自分の土俵にもっていくことは本当に大事だと思う。なぜなら、弱い方の人間は他人の土俵で戦って勝てるわけ無い。よそ者コミュニティでうまくやっていけるはずがない。

どうすればいいのかと考えた時に、たぶん手段はいくつかあって、一つ目は、何かひとつでも絶対に他人に負けないものを身につけることだと思う。ただ、これはとてもハードルが高い上に、相当ニッチな分野でやってかないと無理だ。さらに厄介なのは、極めにきわめたところで、ニッチ過ぎるゆえに、そのすごさを評価できる他人がほとんどおらず、優位性を発揮することが非常に困難になるところだと思う。

二つ目は、既存コミュニティにとにかく長く居ることだと思う。これは年功序列で縦割り組織の会社だ。ずっと耐えてれば、人の入れ替わりがあるから、上のポストにつける。その長い過程の中で、人の弱みが分かる、そして弱みに付け込んで貸しを作っている、だから優位にたてるといったこともあると思う。また、その会社独自の業務知識・スキルが身につくので(これは長年所属していないと習得が難しい)、これもその会社においては大きな武器になる。デメリットは、自身がつぶしが全くきかない人になること。その会社なりコミュニティを出たら、何の価値も無い。

三つ目は、自分で環境なりコミュニティなり居場所を作ってしまうこと。そうすれば自分は絶対優位な立ち位置を確保できるし、自分のやりたいようにできる。これが一番簡単な方法なのではないかと思うが、けっこう難しそうだ。まず、自分が他人からみて魅力的な人間でなければならない。魅力的とはいかなくても、目を引くような特徴であったり、人を惹きつけるような何かがないと厳しい。さもなくば、後から入ってきた他人に自分の立ち位置を奪われてしまうと思う。

というあたまの整理をしたかった。

だるい

外は雨が降っているのか、確かめようとする気すら起きない。寒くて、だるい。起きたら腹が痛くて、さっきまで下痢してた。もう寝るときタオルケットじゃ無理だな。凍えていたみたいだ。三連休が始まったのだけれどもあまりやりたいこともない、というかやらないといけないことが多い、でもやる気があまり起きないから、書いている。



もう秋か、そして冬だ。切なくて切なくてどうしようもない、人肌恋しい時期になってくるなと感じている。人肌恋しくなると、やっぱり風俗に行ってしまう。そういえば今日、ピンサロの夢を見た。起き抜けに日ピン研で近場のピンサロを検索した。ピンサロにはもう数年いっていない。

ドットジェイピー

酒をのむとポエミッシュなあれが出てくる仕様になっているので、書いている。今週も一週間終わった。三連休はずっと一人でいると思う。人と会うのは楽しいけど疲れるし。そもそもガラケーにしてからライン全部無視しているから声が掛かっていても全く気づかないし。

外は雨が降っている。秋の装い。寒い。しとしとと降っていた。いつものように新橋から京浜東北線にのる。帰りの電車は缶詰状態だった。間違って蒲田行きに乗ったから、蒲田で降りてぶらぶらしてみた。

蒲田は ― 一度は住もうかなと思った土地で、埼玉に居たときもなんとなく下見したりしていた。でもどこか落ち着かなくて、あまりいい印象をもてなかった。まず、電車の発車メロディをきくととても情緒不安定になる。このメロディを毎日聞いたら確実に鬱になるなと思って、無理だなってなった。



蒲田行進曲というらしい。受け付けない。だが、蒲田のまちを今日改めてあるいて、まあ悪くないなぁとは思った。住みたいとは思わないが。とにかく飲み屋が多い。あとパチンコ。風俗。

パチンコとか風俗が幅をきかせている街は嫌いじゃない。赤羽、池袋 ― 蒲田はこの辺と似ているなと思ったけど、蒲田はなんかもっと節操がないな、と感じた。日本のまちは大概無秩序でスプロール現象著しいんだけど、なんとなく棲み分けがあったり、なくってもなんか雰囲気があったりするような気がする。でも蒲田は全体的にわちゃわちゃしている感じ。街を歩いていてなんか意味が分からないと思った。西川口をにぎやかにしたような感じもする。

---

http://tokyodeep.info/guide/ota-ku/

ふらっと検索をしたらこんな記事が出てきた。スカイブルーの貧困運搬線  ― 僕は神奈川に住み始めてから、なんとなく思っていた。ここは埼玉よりも民度が低く貧しそうだなと。そして埼玉よりも治安が悪いなと。

すとろんぐ500

ちんぽをしごいても仕方が無いけどしごくしかないときもある 風俗にいっても仕方がないけどいくしかないときもある 酒を飲んでも仕方がないけど飲むしかないときもある 自虐しても仕方が無いけどするしかないときもある 逃げるしかないときもある 立ち向かうしかないときもある 逃げられないときもある 馬鹿な選択だなぁと思いながらも馬鹿な選択をしてしまうこともあるしそうするしかないときもある 矛盾に溢れていて非効率で回り道だなぁと分かっていてもそのまま行きたいときもある 鼻くそをどうしてもほじりたいときがある 耳くそをどうしてもほじりたいときがある 非モテのじゅくじゅくをどうしてもいじくりたいときがある 死ぬほど後悔するとわかっていても吐くまで飲みたいときがある 一瞬の安堵や幸福の為にその後不幸なり後悔すると分かっていてもやってしまうことがある 無に帰すと分かっていても充実をもとめる 無駄だと分かっていても無意味なことをやり続けてしまう

あれ

日中にツイッターをやらなくなって、スキマ時間はぼーっとするか、ガラケーに入っている数独をやったりしている。数独はけっこう面白くて、いつも使わない脳の機能をフル回転させている感じがする。ストレッチのようだ。

ぼーっとしている時にいろいろなことを考えて、あぁこれ文章化したいな、と思ったりするけど、結局忘れてしまう。一回考えたことをまた考えていると、あ、これ前ここまで考えたな、と思い出すことがあったりして、前にたどり着いたとこから考え始められることもある。たまに思考をセーブポイントでセーブしていることがある。

本来、人間はどこに向かっているわけでもなく、何を目指しているわけでもない。そういった意味の全ては、勝手に自らが見出している。生まれて、生きて、できたら生殖して、子孫つくって、死ぬ。そんなことを最近呪文のように繰り返し思っている。スペイン旅行中に気づいたことだ。

脈絡の無い文をつづっていくのが好きだ。意味ありげに構築して文章なんか書いても、僕にとってそれはリアルっぽくない。頭の中はいろんなものが漂っていて、なんとなくその中の一つを拾ってみたり、それに飽きたら別のものを引っ張ってきたり。そんな都合の良く矛盾だらけで唐突な思考の変遷にこそ、あぁ、やってるな、人間を、という感触みたいなものを感じる。