Ctrl+F1でセルの書式設定ができる これまめな

ちんちんすやすや つかれました
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今週もなんとなく過ぎた。やるべきことはやっている。8割くらい出来ている。僕にしては頑張りすぎている。それほど状況が切迫しているということかもしれない。6月は平日が22日もあって一日も休まずに出勤したしね。えらいえらい。祝日も無かったし。仕事終わりと土日は勉強と試験。そら疲れるわ。飲んでる日もあるけどな。
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将来を考えたときに、惨めになっていなくて、孤独ではなくて、金にも困ってなくて、忙しくなくて、ストレスも少なければそれでいいと思った。やりたいことなんてない。社会貢献、責任感、そんなことより僕は無料セックスがしたい。だって素人童貞だもの。
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エロいよな なつかしくもある
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いろいろなんとかしたい
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最近体がバキバキで疲れている。たぶんシャワーばっかりで風呂に入っていないからだと思う。マッサージとかいこうかなぁ、いった方がいいんだろうなぁ。とにかく体がバキバキだとなんかたまに気持ち悪くなったりすることもあるし、体によくないなぁという感じがめっちゃする。だからほぐしたほうがいいと思う。
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テレビがないので最近テレビ見てないな。まぁ別に見なくてもいいんだけど。

aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa

ブログを書こうと思ったら書く気力がなかった。

能動的主体的おちんぽおまんこログイン



↑数年前に行った金沢のピンサロで流れていたので、聞くとその時を思い出す。

音楽は記憶と結びつく性質があるみたいで、僕はこの性質が結構すきかもしれない。その時にあったこととか、心境とか、そういったものが自然と呼び起こされる。そういう感覚は好きだ。もちろん嫌なこととか、やきもきすることとか、呼び起こされるものはよいものだけではないけれども。

金沢のピンサロで椎名林檎の長く短い祭りをフェラされながら聞いたときは、入社二年目とかで、仕事がにっちもさっちもいかなる片鱗が見え始めたころで、ストレスが溜まっていた。だからお盆かなんかにふらっと縁がない土地にいったんだよな、確か。酒飲んでたから、フェラでいけなかった。歯が当たってたし。ホテルかえって1000円出してペイチャンネル見てそれで抜いた。上原亜衣だったかな。あのころはまだ現役だったなぁ。その後はベイマックスを見ながら寝落ち。

そう、そのころはまだ金沢に新幹線が通っていなくて、はくたかをつかって6時間以上かけていったんだった。よかったなぁあの時間は。富山あたりで、夕暮れのなかにポツリポツリとある民家とたまにあるホームセンターをみたとき、あぁ、ここにも生活があるんだなぁ。というなんともいえない感情がわいてきたのを覚えてる。

金沢のことばっかり話してしまった。まぁ、音楽と記憶は僕の中で密接に結びついている。一曲聴いただけでこれだけ書けてしまうのだから(実際思い出したことはこの3倍近くある)。

最近、Youtubeでリストをつくりはじめた。「無職のときに聴いていた音楽」「非正規のときにきいている音楽」など。これらのリストは、後々に再生したとき、今みたいにブワっと想起できるように作っている。

過去の思い出に浸る年ではないのだけど、なんらかの形で記憶を残しておきたい。その一つとして音楽は芋づる式に記憶を呼び起こす一つのツールだと思ってる。

決めない

ここ数週間思っていることがあって、それは「決めない」ということ。

自分は何か計画とか座右の銘とか、人生の指針とか、細かなルールとか、習慣とか、そういうものを決めてしまうと、ガチガチになって動けなくなってしまうというようなところがある。たとえば、明日は朝7時に起きて、8時になったらゴミ出しをして朝食を作って食べる、朝食はハムエッグとトースト というようなことを決めたとして、9割方実行できない。けして高いハードルではないが、決めてしまうと、心理的ハードルが上がるというか、変に自分にプレッシャーをかけてしまう。「あーやらないといけないのにやってない、やらないと」という言葉が頭の中でループしてしまい、動けなくなる。

というような経験を小学生のころからずっとやっているなぁということに気付いて、いい加減だるいな、と思ったのでもうやめた。計画を立てなくても、絶対にやらないといけないことはやるし、逆に言うと、計画を立てるとスキマ時間にわりと無駄なことをやったりする。あと、人生やってく上で、大事なことは毎日意識しなくても、必要な場面で思い出すようになってるし、だからこれも大丈夫だ。

なんで立てた計画を実行できないか、ということについて、なんとなく思ったことが下記だ。結局、生活は不確実性に満ち溢れている。スーパーで餃子の皮買おうと思ったら売ってなかったとか、急に仕事が差し込んできて帰るのが遅くなったとか、だから今日は疲れて勉強できないとか。そういう不確実性を計画は完全に排除できない。バッファ時間を設けてうまくやってくという方法もあるが、それすらも機能しないような突発的なアレがやってくることもある。

習慣とかルールとか、信念とか、そういうものもそうだ。現実は魑魅魍魎として、曖昧な9割の人、物、事で埋め尽くされている。その中で自分を突き通すと、かえって不自然な生き方しかできないというか、いや、それってめちゃくちゃ大変なんじゃないかと思うようになってきた。

かといって、何にも決めないと、自分が本当に意味が分からない方向にいってしまうので、大まかにこうなりたいという方向はたまに意識して、それから外れていないか、というようなことを確認する程度でいいと思うようになった。

まぁ自分にそこまで期待しなくなった、というのが一番でかいんだろうなぁと思う。

いや、これは「決めない」ことを決めてるな。決めてもいいか。

ここ数日、ボイスレコーダーを使って、日記をつけている。単純に楽だし、発話することで、なんかちょっと元気になるし、自分の言葉じ自覚的になれる。いつまで続くか分からないけれど。

録音したものを聞くと、いかに自分が抑揚をつけずだらだらとしゃべっているかが分かる。こんなんじゃ話聞く気にならんよなぁ。つまらなそうなしゃべり方だし。ということが分かる。そりゃもてないわ。異性はもちろん同性からも。

自覚することは大事だ、ということだ。声もそうだし、表情、姿勢、目線、表情。こういったものが、会話しているときに多分全部死んでるんだと思う。ビデオを撮ってみたら一発で全て分かるんだろうだけど、怖い。自分の現実を見るのが。きっととても暗いんだろう。そしてぎこちなくて、薄気味悪くて。

徐々に改善できたらと思う。

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今日は試験だった。やっぱり勉強不足で難しくて、あぁ無理だ、となった。自分はいったいなにをしているんだろう、そんな言葉がよぎって、そこからメンタルが瓦解していった。

能も無ければ金も無い、口達者でもなければ何か秀でた特技があるわけでもない。ほんとうに何も無いのだ。だから、せめて努力で勝ち取ることのできるこーむいんという地位を得る、そのためにやっていたはずなのに、それももうなんか無理な気がして、あーとなった。あーきつい、きびしい、やる気なくした、はぁ

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二村ヒトシ氏が「すべてはモテるためである」みたいな名前の本を出してて、思い出したんだけど、あぁやっぱり自分も例外なくこうなんだな、と思った。何かで突き抜けたいのも、ハゲたくないのも、金がほしいのも、魅力的な女性と付き合いたいからだ。はー彼女ほしい。

とはいってもハゲは別格で、女性の目を気にするということ以前に、人の目が気になる、というところがある。はげると、めちゃくちゃショックを受ける。受けた。自分の場合は。女性うんぬんの前に、身体の衰えを感じてしまうのは、悲しいものがある。

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酒はゆっくり過ぎるくらいで飲むのがいいな

暴発ジョイナス ゲロ吐き

酩酊状態で、ちんちんの涼を取りながら、小便の我慢をしながら、全裸の素人童貞が記事を書いています。読まないでください。

実家の土地。半分はもうローンではどうにもならないらしい。こんなプライベートなことを要ってしまうのまじ受けるな。でも、両親が僕にだけ言ってきたことなので、買い取ってくれ、ということなのだろう。そんで、あわよくば、嫁ができたら一緒に住んでくれとか。そんで、まぁそこまでやってくれたら、僕が相続できるのかなあ。わかんないけど。

というわけで、僕は三人兄弟の長男なので、クズで終わるわけにはならない、というか、完全に許されないわけであって。そんなプレッシャーも一緒に住んでると、感じてしまう。弟が理系のエリートで大企業に就職が決まったとなればなおさら。

あくまで、勝手に想像してプレッシャーを感じているだけだけど、上記のことは間違いなく、「そうしてくれたらベストだよね」と一般的な世間の親なら感じることだと思う。だから余計つらいな。→自分は何をやっているんだ、となってしまう。

そんなんだったら、全てを捨てて勝手に生きればいいじゃん、と思うだろうが、そうだとは思う。実際、僕が一人暮らしをした理由はこれもあった。もう家族からははなれたい、諸々のしがらみから離れたい。そういう動機もあった。しかし、先日、半月ぶりに実家に帰って(取りに行くものがあった)、両親の笑顔をみたら、「あ、僕は看取らないといけないんだな」と思ったし、そう思ったなら、たぶん苦労してでもやるんだろうな、と思った。というか、ある意味悟ってしまったというか。分かる人にはわかるかもしれないし、分からない人には全くわからないとおもう、でも書いとく。

つかの間の現実逃避をしたいんだろうな、僕は。

さみしさとか

僕はただ、感じたことをここでぶちまけたいだけなんだ。排水溝にゲロをはいているみたいなもんだ。そのくらいの気持ちで書いている。

さみしさとか。人は、それぞれの人生をそれぞれのペースで進んでいく。ペースが合わなくなってくると、かつて友人だったひととも疎遠になりうる。今日あった友人と接して、そんなことを思った。かなしいかな、自分がうまくいかなければ、数年のうちにそんな風になりそうだ。せっかく得た良い友人、頑張らなければ失ってしまう。そんな気持ちになっている。

今日も誰かが予期せぬ事故で死んで、または他のだれかは僥倖で億万長者になっているかもしれない。そんな不確実性に満ちた中でも、日々自分の力を尽くして生きる。

おっぱいもみたいな。最近もんでないし、感触を+を忘れてしまった

嫉妬とか、劣等感とか、その他の類のもの

<今日、大学のZEみの友人達とあった>

僕の大学の友人とか先輩は、どんどん人生のステージを進んでいく。結婚、出産、増えている。そこまでいかなくても既に婚約とか。もちろん安定した職を得て。

どうしても比較してしまうな。今日も近況を話す上で適当に笑いを混ぜながらごまかしつつ今の自分の状況を話した。まぁ、自分が一番低いところにいるな、当然だけれども。まぁ多分それは当然の帰結であって、僕がうまいこと人生の舵取りをできなかった、とか、努力が不足しているとか、そんな諸所のことが積み重なってのことだと思っている。まぁ、そうだろ。いろいろ妥協してきたしな。

面白おかしく自分のことを話す。その中で、クズだな、ダメ人間だな、と感じた。でも、どこかでそれに納得していない自分がいる。自分は確実に運が悪かった、とどこかで思っている。そんなこと思っても仕方が無いのに。過去のことなのだから。湧き上がってきて思うものは全て。

みんなすごいなぁ、頑張ってるんだなぁと素直に思うことは間違いない。でも、自分はついてないなぁ、と思ってしまう。意味が無いのに思ってしまう。みんな各々地獄を背負っている。分かっている。でも、どこかうらやましく思ってしまう。嫉妬してしまう。

俯瞰してみて、ああ、クズだなぁ、でも(俗俗俗世の)人間らしいな、とも思う。そんな、好意とか、尊敬とか、応援したい気持ちとか、そういう気持ちを抱く一方で、嫉妬とか劣等感とか、はたまたそういうものが煮詰まって嫌悪感とか、そういうものを感じてしまう。

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僕は、ZEミの友人の中で、一人の女の子が、ずっと好きだ、多分。大学三年のころ一年近く同じチームで論文を書いていて。その子は少々つまづいたものの、いまや官僚だ。そして、同期の男と付き合っているみたいだ。写真も見たけど利発そうな顔立ちだった。

非正規・非モテ・ハゲかけ・素人童貞。オウオウオウオー、今の自分の境遇と照らし合わせたらなんか劣等感で死にそうになった。なんやろな、僕にはおちんぽジョイナスしかないのか、ジョイナスしかないのか、何も無いのか。何も無いのだろう。ただ訳も分からないままもがいているだけだ。おちんぽジョイナス。

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さて、今、ここからどうしようか。S氏の言葉を拝借すると、人生はいつでもやっていくしかない。やっていくしかない。今自分のやるべきこと、今自分のできること、やっていくしかない。最悪の気分に塗れようとも、やるべきことは変わらないし、やらなければ状況はずぶずぶと悪くなるだけだ。感情を自覚し、受け入れ、その後に排し、やってくしかない。理性を取り戻して。

漫然と

土曜日の朝。一人暮らしをしてひたすら堕落するかとおもったけど、今のところそうでもない。この時間にすでに起きてゆったりしているのは、ゴミだしがあったからだ。あとは、おとといくらいからなんとなく干してあった洗濯物を取り込んで(洗剤のにおいが強いのでなるべく干す時間を長くしている)、なんとなく朝飯を食って、ちょっとやることやって、今。一人暮らしは、なんだかんだでやることが多い。ただ、自分の生活を自分でやるということだけだから、そんなに苦にはならない。むしろ、実家暮らしで自分のことをやってもらうのに気疲れするという感じ、僕の場合は。

そんなひねた性格だからか、一人で住んでみて、とにかく気が楽だ。寂しさを心配していたが、ネットがあればなんの問題もなかった。一人暮らし、今のところなんのデメリットも感じない。食いたいものを作って食える、というのもかなりいい。栄養偏重で体壊すかとおもったが、体調も何の問題も無い。むしろ元気。なるほど、生活することは結構できる方なのか。

今日は夕方から予定があるので、それまで何をしようか、勉強はするとしても時間がある。

タイムドメイン

タイトルにこだわりがないので使っているスピーカーの名前にしてしまう。そういえば真空管アンプつくりたい。でも電気回路が分からないので組めない。でも作りたい。できれば勉強したい。

前の会社は電気部品のアセンブリメーカーだったので、その電気の知識がないと営業はけっこうきつい部分があった。文系で営業やってるのって数人しかいなくて、ほとんどが高専卒→設計で入社→設計でやってけなくなったコミュ強タイプが営業にきていた。数人の文系営業は、お察し。「メーカーの営業として」は活躍できていなかった。できることは電材商社と同じことだけ。

だから僕は電気知識がないというところに今でもすごいコンプレックスをもっている。いつか電験でもとってやろうかと思うくらい。

っていうことを久しぶりに思った。

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電気の知識じゃないけれど、何かスキルを持っている人、手に職をつけている人を見るとうらやましいなと思う。そのスキルをもっている、「それ」は、確実にできるから。ほかの事は差し置いても。

僕みたいな大卒文系は、ともすると、何も出来ないじゃんお前、何も無いじゃんおまえってなりやすい(特筆する何かが何も無い人が多い為)。だから学歴・職歴・コミュ力で勝負、ということになってくる。そういう就活・転職ステージで、僕が勝てるのかと考えたときに、無理っしょってなったし(新卒就活時)、今でもそう思う。

こんなことを言ったところで、何も変わらないし、ただやってくしかないんだけど、こう、うだうだ言いたくなる時ってあるし、今がそれ。