日記

日記

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連休中日。めんせつカードとかめんせつ対策とか、やるべきことはいくらでもあるけど、リフレッシュしたいという感じだった。まだじんじいん面接だし、そこまで深く突っ込まれないだろうし。とにかくなんか気分転換したかった。夏だし。

ということを昨日しゃべった。ちょうど温泉が開く時間だったから、久しぶりにいくかーという感じで行った。暑くてそんな長く入れない。サウナなんか無理。ちょっと入ってすぐ出た。

休憩室で寝転びながらテレビを見た。甲子園の地方予選がやっていた。見慣れない高校名だな、と思ったら、ここは横浜だということに改めて気付く。そうだ、去年までは埼玉で見ていたのだと。全く土地勘がないから、どこが強いとか、その高校がどこにあるかとか、全くわからない。なので途中から寝ていた。

気付いたら昼になって、混みはじめて騒がしくなっていた。温泉を出てつなしま駅へ。とにかく暑い。気を抜いたらフラっときてしまいそうだった。久しぶりに駅前の家系ラーメンへ。まあまあ満足した。年々こってりしてるものが食べられなくなってきている気がする。もう家系は半年はいらないかな。

家に帰るのもだるいなと思ったから、菊名で乗り換えて桜木町へ。富士ソフトのビルにあるカフェドクリエに入った。ここは休日でも割かし座れる。体が冷えて落ち着くのを待ってから、めんせつカードをやった。下書きまでできたのでまあいいかという感じ。あとは清書とつっこみ対応を十分にやればいい。

クリエを出て涼しい風を感じたから、もう帰れるなと思って家へ。この前のクリーニング屋に寄って帰った。僕のことは覚えてなかっただろうけど、相変わらず機転の利く感じのおばちゃんだった。スーパーでナスとオクラとしょうがを買って帰った。気力があったらうどんを茹でて野菜焼いて一緒に食べる。
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日記

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木曜日のこと。ろーきの面接が終わり、つるみについたのは16時頃。区役所で住民票記載事項証明書を取り、一旦家へ帰る。着ていたYシャツを脱ぎ、スラックスと合わせてクリーニング屋に持っていく。しかし、前に行ったクリーニング屋は定休日だった。仕方なく隣のクリーニング屋に入った(なぜか隣接してある)。外装も中身もちょっと汚くて、大丈夫かと思うようなクリーニング屋。

すいません、初めてでこれお願いしたいんですけど

40台後半くらいの感じの良いおばさんが出てきて、名前と電話番号を聞かれた。電話番号を伝えると、

すごいね、選んだの?

いえ、たまたまなんです

覚えやすくていいね!

そうなんですよ~

と、そんなそうな会話をした。僕の電話番号は、下四桁が1234になっている。突っ込んでくれたのは初めてだった。内容だけ見たらたわいもない会話だったけど、なんだかしっかり僕をみて会話してくれた気がして、とてもほっこりした。軽快なテンポだけど、丁寧に一言一言を受け取っては、相手が受けやすいように返す。内容はたいしたことないけど、そんな会話の姿勢が伝わってくるだけで、好印象だった。

結局、面接とかもそういうことなのかな、と思う。人と向き合う姿勢とか、しっかり言葉を受け取って、丁寧に相手に伝えることができるかとか。明るく、テンポ良くハキハキしゃべることができるか。そういうところをまずは見ている。そして、それができれば実はけっこう良い線までのってくるのではないか。意外と出来ている人は少ないから。

この年になると、ちょっとした言動や容姿から、なんとなくどういう人間かが透けて見える気がする。他人を指すのはよくないなとは思いつつ、あ、と気づいてしまう。昔よりも見えていると思うのは、何かをやったことからだけでなく、何かをやらなかったことからも、その人の性質を推測できると気づいたこと。

まあ、透けて見えても、人の悪いところであれば、放っておこう。それに対して僕はなにもできないし、するべきでもない。それよりも自分の心を観て、気づいて、正していこう。いい人間になろう。あのおばさんみたいに。

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一年くらい好きだなあと思っていた人がどうでも良くなりつつある。やっぱ、好意って長続きしない感情なんだなあと思う。僕が飽きっぽいのか、人間自体そういうものなのか。こういうのがあるから、僕は恋愛に気が引けるのかもしれない。

もちろん仲良くはしてるし、今後もそうするんだと思う。だから、男女間の友情は成立しないなんていうけど、成立するケースもあると思う。実際そうなりつつあるのだから。その好きだなあと思っていた人の友達ともかなり仲いいし、でも全く気はないし。むしろその人には最近好意を寄せられて困ってる。

どういう気持ちで恋愛をしたらいいのか、結局良く分からない。燃え滾る性愛に身を任せて口説くのだろうけど、僕にはできそうもないと思ってしまう。どうせ性愛感情は枯れるし、だとしたらその後別れるのは面倒じゃないかとか思う。いかにも童貞くさいな。まあ童貞だし。素人童貞。

僕が好きだなあと思い続けられた理由は、いい加減恋愛を成功させたかったと心の奥で思っていたということもある。この人ならいけそうだなと思っていて、だったらいって成功させちゃえみたいな。恋愛経験がない自分に嫌気がさしていた。そんな自分の心に気づいた時、失望した。

適当に感情を誤魔化しながら生きるもんなんだろうなと思う。適度に流されて。僕はどうもそういうのに乗れない。なんかな、うまく付き合えないな、世間と。まあいいんだけど。

好きという気持ちは何とも不安定で、色々な感情が絡み合って複雑で、抱えているだけで苦しいなと思う。早く手放してしまいたいと思う。一方で、女性と付き合ってみたいという淡い期待もある。

考えれば考えるほど分からなくなってくる。絡み合ったひもをほどこうとしてるのに、さらにぐちゃぐちゃになってしまう。ほんとうに面倒くさいものだなと思う。僕は向いてないんだと思う、恋愛に。お金払って自由恋愛の方が楽しいし楽だ。こうやって未成熟なまま年を重ねていくのも怖いなと思いつつ。

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夜風が涼しい。気持ちよい。それを感じられるならまだ幸せだなあと思った。本当に余裕が無いときは、酒や射精でしか快感になれないから。まあいつだって射精はするんだけど。

ただ焦りだけが加速する日々。なぜなら進捗が追いついていないから。かといって必死になって出来るわけでもない。気力がまだ糸が切れた凧状態だ。が、そんなことも言っていられないから徐々に慣らしてはいる。

そんなわけで、めんせつカードを書く気力が起きなかった。だから、人事向けの面接マニュアル本を買って読んだ。面接する側の視点が分かれば対策楽勝になるんじゃないかと思ったから。

結果、めちゃくちゃ役に立つな。面接官は何を聞き出したいか、それはどんな目的に基づいているか、ということが手に取るように分かった。あとはこの本で学んだ面接官の見ているポイントを頭に叩き込んだ上で、返答をいくつも考えること。何をどう対策すればいいかが良く分かった。

そして、この本は数ある面接マニュアルの中でも明らかに良著だ。僕はこの本しか読んだこと無いけど、確信を持って言える。MECEになってて、重要な概念が分かりやすい言葉で多面的に説明されている。だから最後までストレスなく読めて、読み終わった段階で頭の中が整理されている。斜め読みをしても芋づる式に内容を説明できる。久しぶりに良い本を読んだなと思う。

分かりやすい説明で思い出した。よく言われてることで、難しいことを短い言葉で簡単に説明する人は説明がうまいというやつがある。ただこれには一つ落とし穴があって、だいたいそういう例って、物事を単純化しすぎてる。それか一部の説明を省いたり、都合よく解釈させたりしている。こういう簡単に説明する場面って、説明する側は、とにかく相手を納得させることでその説明を受けた相手の満足度を上げる、ということが一番重要だと思っているからだろう。だから極端な単純化が説明においてされたら、少し疑うようにはしている。

その意味で、さっき読んだマニュアル本には、そういう気配がほとんど感じられなかった。同じ概念を簡単な言葉で説明する代わりに、色々な言葉で、いくつかの角度から、何回か説明することで理解させようとしていた。だから、内容量に比して文章量は多かったけど、とても分かりやすかったというわけだ。

何かを相手に説明するときは、上記のスタンスを取るのが一番いいと思った。説明される相手に対する甘えや慢心もない、説明のあるべき姿なのではないか。わかんないけど。

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ふと振り返っては、ずんと気分が落ちることがある。周りと比較してしまうから。僕の友人、男でも結婚しているやつが多くて、なんかみんなどんどん成長して、次のステップへ行っているなあと。前にも似たようなことを書いたが、書かせてくれ。まさにいまがずんと落ちそうなときだから。

周りは比較的に人生を順調に進めているなあという感じがする。就職して、苦労しながらも辞めず、彼女を捕まえて結婚している。あの頃は、友人がこんなになるなんて思いもしなかった。今では少し距離感を感じる。もはや彼らには別の確固たる居場所が出来ている。さらに子供ができればなおさらだ。心理的な距離感はどんどん離れていくだろう。それがなんだか物悲しい。

僕はといえば、ほとんど変わっていないというか、かなり回り道をしていて、もはやマイナス再スタートという感じだ。就職はしたものの仕事を辞め、無職をやり、ひじょうきんとして社会復帰。こーむいん試験でなんとか挽回を試みている。恋愛とか結婚なんてまだ縁遠い。孤独な戦いだ。今日もふと、僕は何をやっているんだろうと思ってしまった。そこから比較してしまうと気持ちが沈む。

いろいろ過去を振り返る中で気づいたことがある。僕はやっぱり周囲に比べて社会性の発達度合いが低かったのだと思う。それは僕の努力不足もあるけれど、もともとのポテンシャルが低めだったというのもあると思う。僕は不器用でコミュニケーションには苦労している方だ。言い訳がましいけど、発達のあれの傾向もあると思う。基本的に僕に悪意はない。なのに失敗して白い目で見られ、なんとなく弾かれることはあった、という経験からだ。

だから、僕がこうやってドロップアウトして回り道をしているのは、ある意味なるべくしてなっているのかなという気もする。というかそうだろうな。認めたくないし、悲しいけど。

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国大の試験。これで筆記試験は一旦終わりとなった。国大事務は採用が少なく倍率も高いので全然期待していない。だから先週は一切筆記の勉強をしなかった。それでもかなり出来たのは問題が簡単になっていたから。国1から始まって国大まで、試験の難易度自体はどんどん下がっていく。勉強していれば実力はどんどん上がっていく。やればできるようになっているのだ。終わってみれば、ただそれだけのことだということがわかる。

終わってみればの話だ。挑んでいるときはそんな楽な気持ちになんかなれない。多分何事もそうだ。乗り越えてみれば、意外といけるもんだな、くらいに大体のことは思えてしまう。でもそれを乗り越えたのは自分が頑張ったからだ。それは紛れも無い事実だ。しかし、そんなことすら忘れてしまって、自分には何も無いとか、自信をなくしてしまうな、僕は。

これまで生きてきたじゃないか。自分自身が生きてきた、日々の積み重ねは確かにある。でもそれをを軽視してしまったり、忘れてしまったり、作為的に無いものとしてしまったりすらすることもある。ちょっと前に、生い立ちを、適当に生きてきたなあ~と振り返ってたけど、節目節目では必死に頑張ってきたとは思う。振り返って、結果だけ見てみると適当だなと思うけど、その時はそんな思いが全てではなかった。

中々うまくいかない人生を、適当に生きてきたという言葉でつつもうとしているのかもしれないな。結局僕は頭良くないし不器用だ。そんな僕が魑魅魍魎な世の中を迷い、つまずきながら渡ってきた。その過程をそのまま表現するのが自分でも恥ずかしくて、適当という言葉でごまかそうとしているのかもしれない。

不器用なりにやってきたのは事実だ。弱い心とない頭で。だからそんなに自分を責めないでもいいじゃないかと思った。僕は必死にもがいている。じゃないとこんなリスキーな選択をしない。このまま終わってたまるかという気持ちはずっとある。動機や目的が客観的に不純であろうと、熱量をもってやっていってるのは確かだ。

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すっかり夏になってしまったなあ。昨日ネットニュースをみて梅雨が明けたことを知る。今年の梅雨は短かったらしいが、僕の時間感覚が極端に短くなっているから良くわからない。1週間くらいしか経ってなくないか。というか梅雨入りいつしたんだ。春が一月前くらいじゃないか。

そう感じるくらい、もう何も考えず勉強の日々を過ごしていたのだなと思う。気が付いたら夏、6月も終わり。何も悪いことをしていないのに、物悲しい。罪悪感を感じることも無いのに、僕は何をやっていたんだというような思いにとらわれそうになる。でもそういえば、昔からそうだったな。どこから沸いてきたんだこの罪悪感は。

この罪悪感というのは、面接に向けて自分の人生を振り返る中で自分の心の底に見つけた。いつも、何をするにも、自分は何か悪いことをしていないか、人に迷惑を掛けていないか、傷つけていないか、間違ったことをていないかという不安や疑いを持っていた。おそるおそる、周囲の反応をうかがいながらやっていた。

間違ってはいけない、失敗してはいけないという強迫観念じみた刷り込み、自分が恥をかくことは自分と関係のあるほかの人にも迷惑がかかること、人を傷つける言動をしたらもう一生信頼を失う、そんな白黒思考が不安や疑心暗鬼を生み、罪悪感にとらわれる原因なのかもしれない。

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僕は、気づく―頭ではなく心でわかる―ことによって、悪癖を手放せることをしっている。気付くにはまず観察をしないといけない。観察をした結果、何かしらぼやっと気付くことがある。これが冒頭でいった罪悪感にあたる。それを詳しく書いていくことで、全容を把握することができる。すると、そのことを受け入れることができる。この一連の流れをなぞれば、大分楽になれるのだ。

そして、手放す。観察の結果、気付き、全容を把握して心で受け入れたこと。それはもう自分の心の一部として明確に分離できるものになっている。だからいらないものだったら手放せる。観察する→気づく→把握する→受け入れる→手放す。僕はこの一連のプロセスに無職のときに気付いた。

僕は書くことで気づきたいのだと思う。もちろんそれだけのために書きたいのではないけれども、確実にそういう欲求はあるなと思う。何かもやっとしている、もう少しでわかりそうなことを書くことで把握する。頭の中からいろいろ引っ張り出して目で見て気づく。気づいたところで何かがたちどころに変わるわけではない。それはほんの小さな変化でしかない。だけどそれを積み重ねていくことはなんとなく大事だなと思うし、その小さな変化それ自体も嬉しい。なので書いていく。

多感

今日はたくさん思うところ、感じるところがあった。

午前10時、特別区の筆記発表を見て自分の番号があることを確認。安心すると思ってたら、なんだか信じられなくてしばらく動揺していた。点数的に落ちないだろうなあと思ってはいたけど。しかし、さっき某匿名掲示板のスレをみたら、僕より筆記が高い人でも落とされていた。論文の出来はかなり合否に影響しているっぽい。

すぐにあの人に筆記通ったことをチャットで報告した。周りに悟られないようにお互いニヤニヤしあっていた。ほんとうにこの人は可愛いな。5つ年上とは思えない天真爛漫さ、無邪気さ、純粋さ。それからもたわいもない話をチャットでした。周りは、なんかこの二人異常に仲いいなと思っていることだろう。うん、ある程度は悟られてると思う。

特にここ最近、あの人と話すことが多い。そして何よりも、以前よりも内容の濃い会話を、お互い心を開いて出来ているという実感がある。彼女が誰にでも親切で好意的な人で、八方美人目だということを差し置いても、そう思う。そしてあの人と僕は性格面で本当に似ているし、似たような性質だなと思う。まあ僕が勝手に思っているだけかもしれないけど、っていつもなら書くけど、そう書けないほどに、似ているな。

午後ちょっと仕事をして退社。ここ数週間は日曜に試験があるから、体調管理も兼ねて早めに上がっている。浜松町のZOOTでつけ麺を食べて、一旦家に帰った。ちょっと休憩してから洗濯機を回し、綱島の温泉へ。ここ最近は試験が忙しく、全然温泉に行けていなかった。最後行ったのがいつかも覚えていない。まだ少し寒かったから4月かな。久しぶりのでかい風呂はとてもよかった。出て鏡を見たら2歳くらい若返ってた。やっぱり忙しくても週一回は行くべきだな。

風呂を上がって、休憩室でテレビを見るが、イナズマイレブンくらいしか見るものなかったので、すぐに暇をもてあました。仕方なく漫画ブースへいくと、本も置いてあって、その中でも 辻村 深月の「朝が来る 」が目を引いたので、手にとって読む。久しぶりの小説だなーと思いながら目を走らせていると、ドキュメンタリーと見まごうほどのリアリティ溢れる内容と、早くページをめくりたくなる展開に引き込まれていった。

子供を生み、育てるってなんなのか。その上で出てくる様々な困難や喜び。夫婦の関係ってどういうものなのか。不妊治療。家族、親との壁や認識のズレ。そして特別養子縁組という選択。その媒介者。子供を引き取る側、授ける側。その苦悩と喜び。不思議な関係性。なんだろう、なんかいろいろな感覚が湧いてきて、そういえば小説を読むってこんな感じだったなと思った。

リアルな小説だったが故に、自分ならどうする、と置き換えて考えてしまった。まだ何も始まっていないのに、あの人一緒になったらどういう問題が出てくるんだろう、どういう家族のかたちを作るんだろう、とか考えてしまった。どう話し合って、どう解決していくのか。
なんだろうな、とにかく夫婦や家族という形態には、苦しいことやつらいことが想像以上にあって、もうそれは前途多難なんだろうなということを、前よりもリアルに想像した。それでもなお、考えは未だめちゃくちゃ幼稚だと思う。そう思わせるほどに、夫婦・家族・育児に対する示唆みたいなものを強く感じた。ああ、まだ僕は全然子供だった、認識が甘すぎた。という感じ。まあ何も経験してないから当然か。

家に帰って、洗濯物を干す。だらだらする。腹が減った。そういえば、今日つけ麺しか食べてなかったな。そう思って冷蔵庫を開けてみたら、親子丼が作れることに気がついた。すぐに作って食べる。こんな簡単だっけ?と思ってしまった。味つけも味見しながら適当にやったのにばっちり決まっている。たぶん料理自体上達しているのだろうな、知らないうちに。

だるい

はっきりいって筆記試験は山を越えたので、だれている。疲れた。やる気にならない。勉強したところで伸びしろは知れてるし。いままで9-5時で働きながら一日4時間くらいは勉強してたの、結構自分的には無理したなと思う。大学受験と同じくらいやった気がするな。そう考えると大学受験、そんなやってなかったのかもな。とか考える。

というわけでまたつらつらと戯言を書いていく日々が続くのかもしれない。まあ一つ書くのに30分もかからないし、いい気晴らしだと思う。書き続けることで書くことがこんなにも楽になるとは思わなかった。書くことで気持ちも楽になるし、そういう意味でもよいなと思う。

今日は仕事でのミスが発覚してやべーってなって少し落ち込んだ。帰り道、落ち込みそうだなーと思ったからうまいものでも食うかってことで、からやまにいってからあげ定食を食べた。うまいな。からあげのプロのからあげはうまい。もちは餅屋、からあげはからあげ屋。

さらに自分を甘やかして、コンビニでソフトクリームを買って帰った。最近、コンビニアイスがやけに凝っていて、おいしいんだけど、そういう凝っているのは好んで食べないなと思った。僕が買うのは、チョコモナカジャンボとか、あずきバーとか、パピコとか、素朴めのアイスだ。今日買ったソフトクリームも、108円のあっさりしたやつ。濃厚なやつとか、一年に一回でいいかなと思う。

そんなことを思わなかったりしながら、パソコンに向き合っていたらミスのことはどうでも良くなってしまった。

最近なんかものの見え方みたいなのが変わってきた気がする。今日、大盛りスパゲッティを食べようとしている人を見て、あ、なんか食べるのって全然きれいな行為ではないなと直感的に思った。酒も飲みたくないし。今日もからあげを食っているとき、がっついて、うまい!と思いながらもどこか冷静だったような。という妄想なのかもしれないけど。

なんかいろいろなものを捨てていきたいとか、脱ぎ去りたいとか、そういう欲があるからそう思うようになってるのだろう。自己顕示欲は捨てられそうだ。酒はもういい。必要以上の食欲もこんな感じならそのうち要らなくなるかもしれない。でも、人並みの恋愛をしたいという欲望と、性欲だけは捨てられそうにないなあと思う、いまのところは。

自己顕示欲はもういいとかいいつつも、恋愛したいとかセックスしたいっていう欲は、まさにその自己顕示欲の隠れみのになっているのだとは思う。僕はそういう自分の気持ちを作り込むことをしたりするからな。そういう癖の結果なのかもしれない。そうそう、そんなことを考えていたら、自分の気持ちなんて本当はないんじゃないかとか、そもそも心情の変化とか全部うそっぽいなとか、そんなことも思ったりした。

そんなことを、文章にすることで観察することができる、すなわち一歩引いてみることが出来る。すると少し心に余裕ができる。だから書かないより書いたほうがいいかもしれない。

あのひとと

午後から仕事へ。昨日はこっぱんの試験だったので泥のように寝ていた。元々有給はとっていた。朝起きて洗濯をしてカレーを仕込んだ。それから試験の自己採点。まあまあだった。スレを見たらボーダーより上にはいそうだ。まだ分からないけど。

仕事はいつも通り単調に。後半は別室で作業。定時前に、あの人が書類を探しにやってきた。結局15分くらいしゃべったかなあ。今の境遇とか、試験のこととか(あの人は経験者を受ける)。あの人はいい子で誰にでも好かれるとは言えど、ここまで話してて波長合うのは少ないんじゃないか、と思いたいな、勝手に。

去年の今頃くらいからずっと、あの人を想うのをやめよう、と思いながら、それができなくて今に至る。いつも僕は、人を好きになるとどうしていいか分からないから、自分の気持ちが冷めるのを待つ。でも今回は長すぎるし、なんか行っちゃいたい。でも今はまだだめだ。ちゃんと決着をつけてからにしよう。あの人にいいところを見せたいというので頑張っているのもあるし。

今日しゃべりながら、こんなんがずっと続いたらどんなに幸せかな、と思った。あの人と話していて感じるのは、たぶん一緒にいて恋愛感情がなくなったとしても、面白おかしくやっていけそうだということ。そこがとてもいいなと。先々のことを考えられる人だと勝手に思っている。

休憩

休憩するために書いている。ブログを書くことは自分にとって気分転換であり、癒しであり、言葉遊びであったり、備忘録であったりと、さまざまな役割を持っている。ツイッターのほうが使い勝手がいいし楽だとも思うけど、それでもなおブログという形式が気に入っている。

ひっそりと、自分の思ったこと、考えたことを、親しいごく少数の人に見てもらうクローズドな発信ツール。自分の好きなようにカスタマイズできる、自分だけのネット上の環境。じっくりと時間を掛けて、自分の内面を書き起こしていく機会をくれるもの。ブログには、ほかの媒体にはない自由度の高さとゆるさがあるようにおもう。

だから僕は何年もブログを続けているんだと思う(ちなみにこのブログは2代目で、初めのブログは2011年くらいからやっていた)。書くことは一向に上達しないけれど、それでも別にいい。ほぼ自分のためにやっていて、満足しているから。

ああそうだ、あともう一つ、自分の書いたブログを読み返すというのも結構楽しい。こんなことを考えていたのかーとか、このころめっちゃ病んでたなーとか、徐々に客観的に過去の出来事を観ることができるようになっているなーとか。まあこんなのが楽しめるのは僕みたいな超内向的人間くらいだろうけど。でも結構いい暇つぶしになったりする。

カレー大成功

市販のカレールーで作るカレーが油っぽくてやだなーと思ったので、スパイスからカレーを作ることにしよう。と思ったのが一週間前で、そこからスパイスをアマゾンで買って届いたのが今日。丼丸でサーモン丼を食っていたけど来てしまったんだから仕方ない。作ろう。作った。


感動してしまった。香辛料はこんなにも味に幅を持たせるのか。大航海時代になるのも分かるわ、という感じ。完全にカレー屋の味になった。ちなみにあのアジアンっぽい味の正体はクミン。これを加えると一気に味が変わる。もうカレー屋に行く必要はないのでは、と思うほどに外で食べる大人の味だ。

スパイスでカレーを作るもう一ついいところがある。自分が食べたい分だけ作れるということだ。半人前とかも可。カレールーを使うと一気に量を作ってグラグラと深い鍋で煮ないといけないけど、スパイスで作るなら浅めのフライパンでも作れる。しかも油をほぼ使わないから洗い物も簡単だ。調理時間的にもほぼ変わらない。煮込まなくても成立するからこっちの方が早いかもしれない。

とにかくうまいし、完成度・満足度の高いカレーが簡単に作れたことに驚いた。カレーは、かなり極めている素人がフォロワーがいるように、かなり求道者的な側面がある。はまり甲斐のある料理の一つかもしれない。僕は今日のでかなり満足したけど。気になった人は一回試してみるといいと思う。

今回買ったスパイス

インターネットで似ている人をみつけた

新卒1年で会社を辞めて実家暮らし。大卒のニートが「自分を責めるのをやめた」ワケ

似ている人を見つけた。学歴も同じだし、在職期間は僕のほうが長いとしても、やめた理由も同じ。ほどなくして日記を書き始めたところも似ている。違うのは僕のほうがまだアクティブで、早く立ち直ったくらいだ。こーむいん試験という方向性も同じ。まあ詰んだと思ったら、そこそこ学歴あるやつはこうするよなあ。

だからなんだという話なんだけど、うん。こういうこの人や僕みたいな人間にとって、この今の時代は楽しむものではなく、かいって苦しみたくも無いから、ただなんとなくやりすごしながら逃げ切ることでしか過ごせないのかもなあと。まあこの人がどう思っているかは知らないけど、こーむいん試験を考えてる時点でわりとお察しというか。なんかふわふわし続けることへの限界を感じたんじゃないかなあと勝手に思っている。

結局、インターネットのニートの王様である某ファ氏のような、ふらふら気ままな生活に憧れはしても、今まで普通の生き方をしてきた人達がそんなことできるはずはなくて。かといって商売を興してやっていく才覚は一ミリも感じないし、そもそもやりたいこともないし。そう考えると、決められた仕事をして安定した給料で生きていくのが一番生きやすい生き方なんだろうなと、僕は思った。諦め半分悟り半分。そして結局労働に戻っていくんだ。それが普通の人より苦しく感じるものだったとしても、やるしかない。そういう諦念だ。

決めてしまいたい

雨だった。何があったかはあまり書きたくないなあ。疲れた。今日疲れると分かっていたから、明日の午前は休みにしてある。寝過ごして普通に昼から出勤するだろう。そのつもりだしそれでいい。

最近カレーばっかり食べている。家で作るのもカレー、外で食べるのもカレー。選択肢をあえて絞るというのはけっこう楽だ。考えなくて済むから。カレーって決まっていたら、カレーでも何のカレーを食べようかと、さらに思索を進めることができる。結果、あんまり後悔しない選択をできる気がする。

http://inkyodanshi21.com/lifestyle/10289/

こんなことを書いているのは、これを読んで頭の中に残っていたからだろう。

> きっと僕らの中には、自分の責任が発生しない範囲で偶発的に選んでしまいたいという欲求がどこかに存在するのでしょう。


ああそうだな、まさに自分もそういう感覚をもっていたなと。自由だーと様々な選択肢を与えられれば与えられるほど、実は苦しい。


もう、どうでも良くなってしまった。というか、どうでもいいと思っていた本心が馬脚を現したというか。必要以上に苦しまなければ、仕事も、住む場所も、割とどうでもいい。夢だとか、理想だとか、もてたいとか、そういった世俗的な価値観は自分の中から消えつつある。だからなおさら「選んでしまいたい」という欲求がクローズアップされているのかもしれない。

昔からこの感覚はあった気がする。自由にやれと言われて、それって実は全然自由じゃないんじゃないのっていう気はしていた。皆のいう自由にどこか違和感を感じていた。結局振る舞いはなんらかの型にハマってるじゃんみたいな。それだったらなんとなくしっくり来たものを適当に選んじゃいたい。論理的に決定するよりもそっちのほうが納得感あるし。

まあなんかもう割りとどうでもいいという感じがする。現状がクソだから悲観的になっている訳でもなくて。将来を緻密に設計する実益なんて存在しないなということは身にしみて分かっているわけだし、できることをやりながら来た波にのれたら乗りながら、時に必死になったりして、気がついたら死んじゃってましたーでもいい。出来るだけ楽にやっていきたい。

こんなことを踏まえて考えてみると、自分の行動基準みたいなのは無いに等しくて、だから人になんで?って聞かれるとすごい困ることが多い。それを見越して理由を事前に準備していたりもするし。会話を円滑に進めるために。ほんとうは「気分」「なんとなく」「楽そうだから」。主体性もクソも無い。

ただ、人に本当に主体性があるのかと聞かれて、それを完璧に証明できる人なんているのかとも思う。みな多かれ少なかれ自分の置かれた環境や経験に影響を受け、そういったインプットに反応して行動してるだけなんじゃないかとも思う。そういうことに無自覚であるがゆえ、主体性があるとみなされていることもけっこうあるんじゃないか。

というわけでなんとなく気分転換したかったから書いた。飽きたので終わり。

 

おーあー 筆記ふたつ落ちたことを確認。まあ一つは受かるとは思ってなかったのでいいが、もう一つは出来た感触があったのでなぜだ。という感じ。とてもショックだ。つらい。つらいのでスーパーでうまい肉でも買って帰ろうかと思う。今は仕事中。なぜだ、なぜだ。

何か壁にぶちあたる度に、なんでおれはこんなことをやっているのかと思ってしまう。おれはただ適当に楽に生きて死にたいだけだ、あまり苦しみたくない。それだけなのに世間体のためにとても苦労しているという、明らかな矛盾がここにある。はっきりいってカオス、認知的不協和、おちんぽジョイナス。

自信が無くなってきた。やる気も失せる。でも僕が生きたい生き方をするために頑張らないといけない。そういう僕の求める生き方苦しみの根本だということが分かっていながらも、頑張っている。とにかく今日は落ち込んでしまったのだ。つらい。頑張る、頑張る。目的が空虚なものだと分かっていながらも。本当の意味で分かっていないからこんなことをしているのだろう。

平和な環境で安定した生活を送りたい。それで苦しみがなくならないと分かっているけど本当の意味で分かっていないからそれを目指してやるしかない。

あーやるしかない 不安でつらいけど

 


昼 たらこパスタ大盛り
夜 豚キムチ



さっきYoutubeでニュース見てたら、アメリカの学園都市で若者ホームレスが増えているらしく、その風景を見てすごい危機感を感じた。好景気や再開発で家賃が上がり、元々いた人が住めなくなってホームレスになっているらしい。好景気とはいってもアメリカは日本以上に格差社会だから、所得の低い層まで雇用に結びついていないのだろうな。しかも大卒で仕事見つからなくてホームレスとかも普通にあるらしい。アメリカでも底辺から這い上がろうと思ったらやっぱ王道はいい大学にいくことらしいが、卒業しても仕事見つからない→家賃高い→学費・奨学金も払えない→借金→ホームレス というように、底辺脱出しようとしてさらに窮地に追い込まれるみたいな最悪のパターンもあるとのこと(なぜ実家に帰らない?帰れない理由があるのか?というのはあるが)。普通に能力のある人でも仕事見つからないのが不況なんだなあ再認識した。そういえば僕らの就職活動も第二氷河期だったし。優秀な先輩や同期が泣きを見ていたなあ。このニュースで見たアメリカは好景気なのにスラムってるし不況感やべえ、そんな印象だった。



メガバン、儲かってないからリストラしないとやばいという話も見た。3万人?僕らが就職活動してた時(2012年)はまだ銀行は(陰りは見えていたが)、人気だった。それが今はもう全然らしいと聞いた。そらそうだよな、マイナス金利なんかされたら。結局銀行はたくさん貸しまくって信用創造しまくって利子で儲けるみたいな構造だから、ただでさえ好景気の今は借りてくれるところも少ないだろうし、さらにどんどん貸さないとマイナス金利で金は減ってくわけだからほんとうにやばい状況だなということが分かる。そして銀行員と言えば給料が高い巨大組織。まあそれは切らないとやってけないだろうなという感じはする。あと、動画でまた銀行同士の統合が進むみたいな流れを話していたけど、とりあえずくっついて時間稼ぎするっていう対症療法しかできないんだろうなという感じがする。

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久しぶりにニュースを見たら危機感感じた。資本主義経済はいつまでも加速して走り続けないと、維持できないシステムになってるような気がする。いまも負の遺産を後世に撒き散らしながら走り続けている。みんな逃げ切りたいしみんな責任を負いたくなくてなすりつける。それがまあ仕方ないよねみたいなアレになっているなあとか思ったし、そういうことにほとんどの人が自覚的でないのではないかと思った。

なんとか僕も逃げ切りたいなあ。


昼 惣菜パン(白身魚サンド・チョリソーエピ(ベーコンの代わりに辛いソーセージ))
夜 マーボー春雨(ピーマン・豚肉・にら追加)

この形式で日記を書くのは久しぶりだなと思う。いつしか勉強に追われまくって書かなくなっていた。それほどまでに余裕が無く切羽詰っていた。

またこうして書く精神的な余裕が出てきたのは、ある程度勉強が完成してきたからだと思う。まだ点数の伸びしろはあるけど、これ以上必死で勉強しても、それに見合う伸びが出ないだろうということがなんとなくわかる。限界効用の低下が分かるような段階に入った。だからまあちょっとくらい気分転換してもいいか、という気になっている。気が緩み過ぎないように気をつけないといけないけど。

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パエリアを食べたくなった。ツイッターで写真を見たから。コスト度外視で一度作ってみようか。魚介類もちゃんと買ってさ。パエリアは魚介のダシが出てるのがうまいんだよなあ。具と一緒に、風味豊かでちょっと固めの米をかきこむのはほんとうにいい。スペインに行ったときに、パエリア用の鍋を買おうと思ったくらいだ。




 

何度も同じようなことを書いている気がする。ということは、すなわち何度も同じようなことをしている、ということのなのかもしれない。書いている途中で、前にもこんなこと書いたなと思うことがけっこうある。ただ以前と違うのは、解像度が上がってるということだ。前よりも細かく観察できている、前よりも深く理解できている、前よりも全体の中での位置付けを正確に把握している、というように。だから当然書くことも変わってくる。より的確に、端的に表現できる気がする。が、あくまでも前と比べてまし、という程度で、全く洗練はされていないのだけれど。

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ブログを書き続けてたおかげで、文章を書くことに慣れた、というのはかなりあると思う。それを如実に体感したのはこーむいん試験の論文だ。こんなむちゃくちゃな文章を書きなぐって、格式ばった文章が上達するのかと思うけど、びっくりするくらいスラスラ書けるようになっていた。

好き勝手めちゃくちゃ文章を書きまくっていても、ここは明らかに筋が通ってないとか、このワードの使い方で意味にブレが出ているとか、後から見返して気付くことはたくさんあった。そうやって気付くことこそが、曲がりなりにも上達するステップだったのだろう。本番では論理を組み立てて、対応関係や一貫性を考えながら書くことができた(と思う)。これで落ちてたら笑える。おまんこ。

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某インターネット有名人が、「ツイッターはでかい精神病院だ」みたいなことを言っていたけど、ほんとうにそうだなと思う。言葉にすることで自分の内面を客観視することができる。さらにそれをつぶやくことで周りからのフィードバックもある。まずはそうやって「気付く」ことが現状を変えていく為の第一歩だから、ツイッターやブログなどの発信ツールは、自己治癒的な意味で重要な役割を果たしているように思う。


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久しぶりの試験の無い土日。先週まで4週連続試験だった。疲れた。でも徐々に「あ、解けてるな」という感じになってきたので、勉強のモチベーションはなんとか保ってる。やっぱり手ごたえみたいなのがないと、続かないよな、何事も。

今日はだらだらしてた。半分くらい勉強して半分くらいだらだらしてたという感じだな。疲れてるんだし仕方ない。昨日飲み会だったしなあ。

夕方、てんかにいった。激から汁なし坦々麺。前までは食べた後胃がむかついて吐きそうになってたんだけど、今回は全然ならなかった。卓上のにんにくチップを入れなかったからだ。前回までは辛さを恐れてにんにくチップで中和しながら食べてたから結構入れてた。だけど前回食べ終わった後、実はそんな辛くないし、胃がむかつくのは辛さじゃなくてにんにくチップのせいなんじゃないか、と仮説を立てた。その仮説を今回立証できたというわけだった。まあ相変わらずうまい。てんかの帰りにスーパーでジャンボを買って食べた。




金曜夜

4/20金、仕事を終える。最近は作業が増えてきて19時くらいまで残っているな。ただ大体ケリはついたので来週からまた定時退社をする強い気持ちを持つ。

仕事を終えて、まっすぐ家に帰りたい気持ちもあったが、今日は湯けむりの庄にいくと決めていた。結局いつもは土日どちらかで温泉にはいくのだけど、半日つぶれてしまうのでもったいないなと思っていたから。

定食屋でぎょうざライスを食べ、おなかを満たして地下鉄にのって下る。JRと違って駅が多いのでかなり時間がかかった。ずっとツイッターをやっていた。

綱島に到着。暗い中大綱橋を渡るのは初めてだ。いつも大体夕暮れだったから。夜は対岸のラブホがライトアップされていて、なんともいえない気分になった。きれいとも言い難いし、ああラブホがあるなと。

湯けむりの庄へ到着。金曜夜はやはり空いていた。これが土曜日曜となると入館待ちになることもあるし、それで行くきがうせることもあるから好都合だ。

短めに風呂に入って出る。休憩室でテレビを見ていたらコナンがやっていた。アニメなんかみるのは久しぶりで、結構夢中になっていた。映画前予告のスペシャルだったっぽい。

コナンが終わったら72時間を見た。国道45号線を北上する中で出会った人と話すみたいなあれ。これをぼけーっとしながら見るのはすごい好きだな。精神の回復を感じる。

72時間も終わり、ザッピングをしていたらモンテカルロでにしこりとチリッチの試合がやっていたので少しみた。テニスをボーっとしながら寝落ちするのもいい。

気がついたら23時半になっていたので、綱島まで戻って終電で家に帰った。金曜が充実していると全体的に休日が長く感じるのでこの過ごし方は今後もやろう。

自分というのは実はなくて

 

 

 

 

 

 

1.綱島湯けむりの庄
2.いわしトマト煮
3.夜のスタバで勉強

1.綱島湯けむりの庄
いつもと変わらず良かった。サウナ10回くらい入った。風呂から上がって久しぶりにテレビを見た。大食い激辛やってた。大食いはあんま気分良くないけど、激辛見ると辛いもの食べたくなるな。てんかに行きたくなってきた。

2.いわしトマト煮
いわしが一尾60円とかだったのでトマト缶と一緒に買って一緒に煮た。たまねぎとレンコンも一緒に。コンソメとオリーブオイルを入れて。いわしの内臓取り除くのはあれだな、ちょっと残酷なことをしているなと思う。まあ食べることは全てそうだ、命を食べている。でもうまかったのでまた作るかもしれない。

3.夜のスタバで勉強
20時過ぎに家を出て近所のスタバで勉強した。商業地に住んでるとこういうことが簡単にできるからいい。

 

発達障害(ADHD・ASDなど)の症状にわかる~ってなったり、発達障害をもっている人に親近感を感じるのは僕自身もそうだからだろうか。今日も仕事は忙しくなかったのでいろいろと読んでいた。

http://toyokeizai.net/articles/-/213254
https://twitter.com/himeno_kei/status/976997136201007104
https://twitter.com/syakkin_dama/status/975744657337430016
https://twitter.com/i/moments/975188630426628097

知能検査WAISⅢ受けようかなあ。明確に発達と診断されることはないにしても、僕自身の性能というものが多少なりともわかるだろうし。強みや弱み。

ブログ、書いてないことはないんだけど結構みんな見てるなって感じたのでツイッターにリンク貼るのは避けていたというあれ。



皿うどんを作って食べた。具は小松菜、キムチ、れんこん、たまねぎ、豆腐。うまかった。



そうか、僕はやっぱり好きだと思いたい。さっさと恋愛を切り上げて結婚したい。そういうことがあるからあの人のことを好きになろうとしているのか、と思った。もちろんあの人は天真爛漫で魅力的だ。でも、あの人ではない人を好きになってなんちゃらしてもなんのあれもないわけで。勝手に自分をストーリーの中において、運命的なものを感じているだけだ、多分。



また酒を飲むようになった。一時期は立ち飲み屋にはまっていたけど飽きた。結局また家で飲むようになった。季節的なものなのか、あったかくなってきたから炭酸がうまいのかもしれない。控えめにはしている。ストロングはだめ、変な酔いかたするし。



いろいろあって、女性にそんなに嫌われてないんだな、と思うようになった。もちろん恋愛対象からはカットされてるんだろうけど、普通に接すれば、普通に対応してくれる、ということに今更気付いた。僕は怖がっていた、ずっと。でもそんなに恐れる必要もない。普通に接すればいいのだ。普通に接して、あ、合いそうと思ったらちょっとずつ仲良くなってけばいいし、合わないなと思ったら普通に接し続ければいいだけだ。男の友達とそんなに変わらない。多分。仲良くなれそうな人とだけ仲良くすればいい。

180312~16

やっぱり僕はあの人が好きだ。ずっとあの人の笑顔を見ていたい、声を聴いていたい。見えない瑕疵があってもかまわない、そんなものは全て余裕で相殺できる。そう思えるくらいに愛しいな。

だめでもいいし、それはもう仕方の無いことなのだけれど、思いを伝えるとこまではいきたいな。そう思った。あなたを想っている人が一人ここにいますよと。

・同僚とホワイトデーの贈り物買い→とりき飲み
・職場で銀だこ飲み
・蒲田まるやま食堂とんかつがめちゃくちゃうまい

誘うことが苦手



昔から友達なり異性なりを誘うのが苦手だなと思った、そういえば。人の気持ちなんてわからないし、察するのも大変だし面倒だ。

人を誘うとなると、気持ちを察し、誘ってもいいかどうかを判断しないといけない。この過程が僕にとっては結構苦しくて、なかなかできない。気を使いすぎたあげく、しどろもどろになってしまう。

それだったら誘われたのだけにいけばいいや、という考えになってしまった。相手の気持ちを察する必要もないし、嫌な人から誘われたらあいまいに断ればいい。そっちのほうが圧倒的に楽。

そもそも人に会いたいという強い気持ちをあまり感じたことがない。この人と話したい、飲みたい、というような。

それは僕にとって交友関係はオプションに過ぎないのだからだと思う。あれば楽しいけど別になくてもいい。多すぎてもあまりよろしくない感じ。

あればいいという程度のものなのだから、積極的に求めるというほどのものではない。僕にとっての自然な交遊の導入の形は誘われる、だなと思う。

死についてざっくり


誰も書かなかった「死の壁」をどう乗り越えるか
http://bunshun.jp/articles/-/6540

死の壁について
http://bunshun.jp/articles/-/6540?device=smartphone&page=4

具体的な死の話。地域包括ケアの重要性も書いてあり、自治体と医療の連携が今後なくてはならないものになってくることがわかる。

また、今後は在宅医療中心にならざるをえないことも(病床を増やすことは財政面・人材面両面からみて現実的でない)重要で、その流れに向けて人々の認識が変わっていかないといけないことも課題としてあるとも。

後半、死の壁(死を迎えると客観的にどのような兆候が見られるかなど)の話を読み、正直死が怖いと思った。自分が死を迎えることも、親の死を見届けるのも。

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去年の4月に母方の祖父が亡くなった。自宅で穏やかな死だったと聞いた。客観的にはそうだったかもしれないけど、祖父自身の感じ方なんて誰もわからないしなあとも思う。もしかしたら滅茶苦茶に苦しくて、ただそれを表現できなかっただけかもしれない。わかんないけど。

死っていうのは、生きてる人の中で経験者がいないから、だれも経験者に死について聞くことができない。誰も死について正確に知ることができないから、恐れの対象となっているのだろうな。

まあ恐れても恐れなくても死はやってくるし、いつ、どのような形でやってくるかは何もわからない。だから考えても仕方のないことなのだろうと思う。ただ、死を受け入れる心の準備をすることは生前の課題なのかもしれないとか思った。

こんなのもあったhttps://www.buzzfeed.com/jp/seiichirokuchiki/arigato-ietanara-yukari-takinami?utm_term=.saNYzqdxY#.okPwj89gw

18.3.12mon

昨日飲みすぎて朝はいた。立ち飲みや→ストロングゼロ500でのんじゃったからなあ。しかも喘息も出るというありさまで、あまり寝れなかった。だからもう今日は仕事いいか、という気分になっていた。どうせ行っても仕事ないしなあ。ということで休みの電話を入れた。

落ち着いたら外出。亀戸餃子へ。休日はいつも長蛇の列なのに、今日は全然だ。入店しても空席がある。平日と休日でこうも違うんだなと実感した。こんなんなら平日二日休みとかでもいいかなとおもう。

そして亀戸餃子はやっぱうまい。餃子の味のバランスが絶妙だ。肉汁・野菜・大きさ・皮の厚さ・薬味系の量。初めて食べた人は個性を感じず物足りなさを覚えるかもしれない。だが三回くらい通って、ほかの餃子と食べ比べると分かる。いかにこの味が希少かということに。25個(5皿)食べて退店。満足感がすごい。並ばずに入れて、店外の列からのプレッシャーも感じず余裕綽々で食べられた。

川崎のエクセルシオールへ。勉強した。

家の近くのスーパーへ。買い物をしながら思う、いろいろうまくいった暁にはなにかご褒美をあげようと、自分に。それも特大特濃の(例えば飽きるまで毎日風俗にいくとか)。そうでもしないとやってられないな、メンタルがきっつい。

18.3.10

180309

今日も仕事が無かったので適当についったーをみていた。
労働者の心構え

労働者の心構えその2

3時ころ、職場の空気が良くなくて息が詰まりそうだったので外を散歩した。とても気持ちが良い。

家の近くのつけ麺屋の鶴嶺峰にいった。まあうまかった。

そして今はストロングゼロダブルシークワーサーを飲んでる。今週は割りと頑張って勉強したつもりだし。

180308

最近毎日が同じなので書く必要がない。月曜から毎日皿うどんを作って食べている。栄養はちゃんととれてるしこれ完全食になりえるのではないか。

それに加えて今日は長いもを一本すって、生卵と醤油と混ぜて食べてる。うまい。

18.3.5


昼 大盛りパスタ(たらこ) せんべい
夜 からあげ棒 ストロングゼロ 皿うどん コーンスープ 納豆

特に書くことも無くまんこ。焦り始めた。時間があまりない。やることをやるしかない。がんばろう。

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皿うどんは楽でいいな。

18.3.4

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18.3.3

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日記 金沢5

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川端鮮魚店でも、メイド居酒屋でもしこたま飲んで、カプセルホテルに着いたのは午前2時。ここからがきつかった。僕の苦手な乾燥だ。しかもあつい。飲みすぎたということもあって、10回くらい吐いた。胃液しかでかなったけど。ちゃんぽんがいけなかったんだろうな。

朝、10時のチェックアウトのアナウンスで起こされる。フォロワーに連絡。今起きましたと。そう、昨日の時点で今日も会う約束をしていた。僕が和倉温泉に行きたいといったら車を出してくれることになったので。

金沢市内から和倉温泉までは1時間ちょっと。距離にして70キロ。のと里山海道をとばせばわりとすぐにつく。運よくいい天気だ。この時期の北陸はほぼ曇りか悪天候と聞くし、本当に運がいい。仕事がむちゃくちゃになって衝動的に和倉温泉に来たときもめちゃくちゃいい天気だったな。あの時は夏だったけど。その時を思い出した。またいい思い出が一つ。

和倉の総湯に入る。総湯というのは、温泉の固有名称ではない。簡単に言えば銭湯と同じ意味だ。銭湯はただのお湯なのに対して、総湯は温泉。つまり安い温泉ということで、つまり最高ということ。440円。知ってる口ぶりだけど、今のくだりは帰ってきてから調べました。

フォロワーと入る。泉質が本当にいい。つるつるになる。天気もいいから露天風呂なんか最高だった。あーいいっすね、最高と何回言い合っただろう。何回でも自然と出てくるくらい良かった。

その後は近くの食堂で飯を食って、金沢市内まで送ってもらい解散。

とても良い旅だった。

おしまい

日記

朝 たけのこの里
昼 弁当
夜 ぎょうざ ストロングゼロ 緑のたぬき コーンスープ

何も無かった日は何も無いから書けない。いろいろあった日は家に帰るのが遅くなるし、内容も濃いから中々書けない。今日は後者。

また同僚たちと遊んだ。もちろんあの人もいる。ゲーセン・バドミントン・バレー・卓球など。まあお台場のあそこで。まずフードコートで飯を食う。ストロングゼロを持ち込んで乾杯(ほんとはいけない)。もうこの時点でめちゃくちゃ楽しかったし充実していた。

それから上記運動をやった。みんな酔いが回ってヘロヘロだ。バドミントンとかすかりまくってた。ハイになって笑いまくってたし。あの人は一際はしゃいでいた。一番年上なのに。ふらふらなフォームなのに一丁前に一本足打法をやろうとしていたのがかわいい。

前回もそうだけど、こんな楽しくていいんだろうかと思うくらい楽しかった。大学以来だな、こんなにはしゃぐのは。しかもなんかみんな連帯感もあるし。学生気分だ。

吐きそうになるくらい運動してそのまま帰宅。緑のたぬきを買って家で食べた。酔った日の締めの定番になった。

僕があの人をいいと思うのは、単純に仲が良くて、分け隔てなく接してくれるからかもしれない。これまで僕にはここまで仲良くなった女の人がいなかった。だからこの人しかいないんじゃないかと思ってしまうのだ、多分。

もちろんとてもいい人だ。可愛らしいし、素直過ぎるくらい素直。でも僕は好きだと思いたいだけなのかもしれない。なんとなくそんなことを思った。自分の気持ちが全然わからない。

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今まで僕は、女性には嫌われてるという前提で接していた。多分それが前提に過ぎないことに本当に気付きつつあるのだろう。僕と好意的に接してくれる女性は少ないけれどもいて(そういう女性がどういう人なのかも分かってきたかもしれない)、そういう女性に並んで順番待ちをしてればもしかしたらワンチャンいけるみたいな。

以上ちんぽの寝言でした。

日記


昼 カツカレー 味噌汁 (紅とん) 
夜 納豆 ひき肉豆板醤いため モツ味噌いため 味噌汁 もぎたてグレープフルーツ

久しぶりに家で飲んでる。9%。体に良くないのが良くわかる。勢いでいろいろつぶやいてしまう。去年は毎日飲んでたな、ストロングを。それで酔いがさめてから勉強してた。完全におかしかったな。そう考えると今はまだましだと思う。

今日も仕事がなくて同僚とチャットをしていた。お互いを笑わせあっていた。楽しかった。人生、くそみたいな状況でもへらへら笑いあってればなんとなく幸せなんじゃないかと思ったりした。わかんないけど。

今は完全に酒が入った勢いで書いているんだけど、一年前はこういうことを良くやっていたなと思う。酔いに任せてキーボードをたたく。あほみたいに。それがさらに自分を気持ちよくさせて。翌日読んだら内容がくそで。それもまたよかった。

酒を飲むたびに思う。僕にはリミッターがたくさんあるなと。もっと奔放に生きたい。でも奔放に生きたら完全に変態を露呈させてしまう。だからこそリミッターをもうけて制御しているのかもしれない。

最近はフォロワーともよく会って顔が割れてきているので、ツイッターでも控えめになってきた。悪いことではないのだけど。インターネットこわいもの知らずだったころとは違うやり方をしている。

僕にはいろんな顔があって、どの顔も僕なんだと思う。

日記 金沢3

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フォロワーと連絡を取り合い、香林坊前のスタバで待ち合わせ。ツイッターでは長いけど、会うのは初めての人だ。

21時前、無事合流でき、飲む店を探す。片町は若者が多いことに毎回驚く。生き生きしているよなあ。一軒入ってみるも、満席と断られた。やっぱり賑わっている。

結局ここに入った。

川端鮮魚店
https://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17005272/

改めてフォロワーとしっかりと顔を合わす。ツイッターでの印象通り物腰柔らかくて優しそうな人だ。

あいさつもそこそこに酒を頼み刺身をたのみ、飲んで食う。話しながら。初めて会ったとは思えないほど、会話が弾みまくってしまった。日本酒も2合は飲んでもう止まらない、酒も会話も。共通点も多かったし、人柄も良いし、とにかく楽しかった。あとのどぐろの刺身はやっぱめちゃくちゃうまい。

気付いたら周りから客が消えていて、時計を見たら23時過ぎ。まだ解散というには惜しかったので、もう一軒。

日記

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朝 せんべい チョコ
昼 弁当
夜 みそ汁 プリングルス キムチチャーハン 納豆

今日もほぼ仕事が無かった。同僚とチャットしてた。書くことも無いので終わり。画像は8番ラーメンのチャーハンと餃子。