だるい

はっきりいって筆記試験は山を越えたので、だれている。疲れた。やる気にならない。勉強したところで伸びしろは知れてるし。いままで9-5時で働きながら一日4時間くらいは勉強してたの、結構自分的には無理したなと思う。大学受験と同じくらいやった気がするな。そう考えると大学受験、そんなやってなかったのかもな。とか考える。

というわけでまたつらつらと戯言を書いていく日々が続くのかもしれない。まあ一つ書くのに30分もかからないし、いい気晴らしだと思う。書き続けることで書くことがこんなにも楽になるとは思わなかった。書くことで気持ちも楽になるし、そういう意味でもよいなと思う。

今日は仕事でのミスが発覚してやべーってなって少し落ち込んだ。帰り道、落ち込みそうだなーと思ったからうまいものでも食うかってことで、からやまにいってからあげ定食を食べた。うまいな。からあげのプロのからあげはうまい。もちは餅屋、からあげはからあげ屋。

さらに自分を甘やかして、コンビニでソフトクリームを買って帰った。最近、コンビニアイスがやけに凝っていて、おいしいんだけど、そういう凝っているのは好んで食べないなと思った。僕が買うのは、チョコモナカジャンボとか、あずきバーとか、パピコとか、素朴めのアイスだ。今日買ったソフトクリームも、108円のあっさりしたやつ。濃厚なやつとか、一年に一回でいいかなと思う。

そんなことを思わなかったりしながら、パソコンに向き合っていたらミスのことはどうでも良くなってしまった。

最近なんかものの見え方みたいなのが変わってきた気がする。今日、大盛りスパゲッティを食べようとしている人を見て、あ、なんか食べるのって全然きれいな行為ではないなと直感的に思った。酒も飲みたくないし。今日もからあげを食っているとき、がっついて、うまい!と思いながらもどこか冷静だったような。という妄想なのかもしれないけど。

なんかいろいろなものを捨てていきたいとか、脱ぎ去りたいとか、そういう欲があるからそう思うようになってるのだろう。自己顕示欲は捨てられそうだ。酒はもういい。必要以上の食欲もこんな感じならそのうち要らなくなるかもしれない。でも、人並みの恋愛をしたいという欲望と、性欲だけは捨てられそうにないなあと思う、いまのところは。

自己顕示欲はもういいとかいいつつも、恋愛したいとかセックスしたいっていう欲は、まさにその自己顕示欲の隠れみのになっているのだとは思う。僕はそういう自分の気持ちを作り込むことをしたりするからな。そういう癖の結果なのかもしれない。そうそう、そんなことを考えていたら、自分の気持ちなんて本当はないんじゃないかとか、そもそも心情の変化とか全部うそっぽいなとか、そんなことも思ったりした。

そんなことを、文章にすることで観察することができる、すなわち一歩引いてみることが出来る。すると少し心に余裕ができる。だから書かないより書いたほうがいいかもしれない。

あのひとと

午後から仕事へ。昨日はこっぱんの試験だったので泥のように寝ていた。元々有給はとっていた。朝起きて洗濯をしてカレーを仕込んだ。それから試験の自己採点。まあまあだった。スレを見たらボーダーより上にはいそうだ。まだ分からないけど。

仕事はいつも通り単調に。後半は別室で作業。定時前に、あの人が書類を探しにやってきた。結局15分くらいしゃべったかなあ。今の境遇とか、試験のこととか(あの人は経験者を受ける)。あの人はいい子で誰にでも好かれるとは言えど、ここまで話してて波長合うのは少ないんじゃないか、と思いたいな、勝手に。

去年の今頃くらいからずっと、あの人を想うのをやめよう、と思いながら、それができなくて今に至る。いつも僕は、人を好きになるとどうしていいか分からないから、自分の気持ちが冷めるのを待つ。でも今回は長すぎるし、なんか行っちゃいたい。でも今はまだだめだ。ちゃんと決着をつけてからにしよう。あの人にいいところを見せたいというので頑張っているのもあるし。

今日しゃべりながら、こんなんがずっと続いたらどんなに幸せかな、と思った。あの人と話していて感じるのは、たぶん一緒にいて恋愛感情がなくなったとしても、面白おかしくやっていけそうだということ。そこがとてもいいなと。先々のことを考えられる人だと勝手に思っている。

休憩

休憩するために書いている。ブログを書くことは自分にとって気分転換であり、癒しであり、言葉遊びであったり、備忘録であったりと、さまざまな役割を持っている。ツイッターのほうが使い勝手がいいし楽だとも思うけど、それでもなおブログという形式が気に入っている。

ひっそりと、自分の思ったこと、考えたことを、親しいごく少数の人に見てもらうクローズドな発信ツール。自分の好きなようにカスタマイズできる、自分だけのネット上の環境。じっくりと時間を掛けて、自分の内面を書き起こしていく機会をくれるもの。ブログには、ほかの媒体にはない自由度の高さとゆるさがあるようにおもう。

だから僕は何年もブログを続けているんだと思う(ちなみにこのブログは2代目で、初めのブログは2011年くらいからやっていた)。書くことは一向に上達しないけれど、それでも別にいい。ほぼ自分のためにやっていて、満足しているから。

ああそうだ、あともう一つ、自分の書いたブログを読み返すというのも結構楽しい。こんなことを考えていたのかーとか、このころめっちゃ病んでたなーとか、徐々に客観的に過去の出来事を観ることができるようになっているなーとか。まあこんなのが楽しめるのは僕みたいな超内向的人間くらいだろうけど。でも結構いい暇つぶしになったりする。

カレー大成功

市販のカレールーで作るカレーが油っぽくてやだなーと思ったので、スパイスからカレーを作ることにしよう。と思ったのが一週間前で、そこからスパイスをアマゾンで買って届いたのが今日。丼丸でサーモン丼を食っていたけど来てしまったんだから仕方ない。作ろう。作った。


感動してしまった。香辛料はこんなにも味に幅を持たせるのか。大航海時代になるのも分かるわ、という感じ。完全にカレー屋の味になった。ちなみにあのアジアンっぽい味の正体はクミン。これを加えると一気に味が変わる。もうカレー屋に行く必要はないのでは、と思うほどに外で食べる大人の味だ。

スパイスでカレーを作るもう一ついいところがある。自分が食べたい分だけ作れるということだ。半人前とかも可。カレールーを使うと一気に量を作ってグラグラと深い鍋で煮ないといけないけど、スパイスで作るなら浅めのフライパンでも作れる。しかも油をほぼ使わないから洗い物も簡単だ。調理時間的にもほぼ変わらない。煮込まなくても成立するからこっちの方が早いかもしれない。

とにかくうまいし、完成度・満足度の高いカレーが簡単に作れたことに驚いた。カレーは、かなり極めている素人がフォロワーがいるように、かなり求道者的な側面がある。はまり甲斐のある料理の一つかもしれない。僕は今日のでかなり満足したけど。気になった人は一回試してみるといいと思う。

今回買ったスパイス

インターネットで似ている人をみつけた

新卒1年で会社を辞めて実家暮らし。大卒のニートが「自分を責めるのをやめた」ワケ

似ている人を見つけた。学歴も同じだし、在職期間は僕のほうが長いとしても、やめた理由も同じ。ほどなくして日記を書き始めたところも似ている。違うのは僕のほうがまだアクティブで、早く立ち直ったくらいだ。こーむいん試験という方向性も同じ。まあ詰んだと思ったら、そこそこ学歴あるやつはこうするよなあ。

だからなんだという話なんだけど、うん。こういうこの人や僕みたいな人間にとって、この今の時代は楽しむものではなく、かいって苦しみたくも無いから、ただなんとなくやりすごしながら逃げ切ることでしか過ごせないのかもなあと。まあこの人がどう思っているかは知らないけど、こーむいん試験を考えてる時点でわりとお察しというか。なんかふわふわし続けることへの限界を感じたんじゃないかなあと勝手に思っている。

結局、インターネットのニートの王様である某ファ氏のような、ふらふら気ままな生活に憧れはしても、今まで普通の生き方をしてきた人達がそんなことできるはずはなくて。かといって商売を興してやっていく才覚は一ミリも感じないし、そもそもやりたいこともないし。そう考えると、決められた仕事をして安定した給料で生きていくのが一番生きやすい生き方なんだろうなと、僕は思った。諦め半分悟り半分。そして結局労働に戻っていくんだ。それが普通の人より苦しく感じるものだったとしても、やるしかない。そういう諦念だ。

決めてしまいたい

雨だった。何があったかはあまり書きたくないなあ。疲れた。今日疲れると分かっていたから、明日の午前は休みにしてある。寝過ごして普通に昼から出勤するだろう。そのつもりだしそれでいい。

最近カレーばっかり食べている。家で作るのもカレー、外で食べるのもカレー。選択肢をあえて絞るというのはけっこう楽だ。考えなくて済むから。カレーって決まっていたら、カレーでも何のカレーを食べようかと、さらに思索を進めることができる。結果、あんまり後悔しない選択をできる気がする。

http://inkyodanshi21.com/lifestyle/10289/

こんなことを書いているのは、これを読んで頭の中に残っていたからだろう。

> きっと僕らの中には、自分の責任が発生しない範囲で偶発的に選んでしまいたいという欲求がどこかに存在するのでしょう。


ああそうだな、まさに自分もそういう感覚をもっていたなと。自由だーと様々な選択肢を与えられれば与えられるほど、実は苦しい。


もう、どうでも良くなってしまった。というか、どうでもいいと思っていた本心が馬脚を現したというか。必要以上に苦しまなければ、仕事も、住む場所も、割とどうでもいい。夢だとか、理想だとか、もてたいとか、そういった世俗的な価値観は自分の中から消えつつある。だからなおさら「選んでしまいたい」という欲求がクローズアップされているのかもしれない。

昔からこの感覚はあった気がする。自由にやれと言われて、それって実は全然自由じゃないんじゃないのっていう気はしていた。皆のいう自由にどこか違和感を感じていた。結局振る舞いはなんらかの型にハマってるじゃんみたいな。それだったらなんとなくしっくり来たものを適当に選んじゃいたい。論理的に決定するよりもそっちのほうが納得感あるし。

まあなんかもう割りとどうでもいいという感じがする。現状がクソだから悲観的になっている訳でもなくて。将来を緻密に設計する実益なんて存在しないなということは身にしみて分かっているわけだし、できることをやりながら来た波にのれたら乗りながら、時に必死になったりして、気がついたら死んじゃってましたーでもいい。出来るだけ楽にやっていきたい。

こんなことを踏まえて考えてみると、自分の行動基準みたいなのは無いに等しくて、だから人になんで?って聞かれるとすごい困ることが多い。それを見越して理由を事前に準備していたりもするし。会話を円滑に進めるために。ほんとうは「気分」「なんとなく」「楽そうだから」。主体性もクソも無い。

ただ、人に本当に主体性があるのかと聞かれて、それを完璧に証明できる人なんているのかとも思う。みな多かれ少なかれ自分の置かれた環境や経験に影響を受け、そういったインプットに反応して行動してるだけなんじゃないかとも思う。そういうことに無自覚であるがゆえ、主体性があるとみなされていることもけっこうあるんじゃないか。

というわけでなんとなく気分転換したかったから書いた。飽きたので終わり。

 

おーあー 筆記ふたつ落ちたことを確認。まあ一つは受かるとは思ってなかったのでいいが、もう一つは出来た感触があったのでなぜだ。という感じ。とてもショックだ。つらい。つらいのでスーパーでうまい肉でも買って帰ろうかと思う。今は仕事中。なぜだ、なぜだ。

何か壁にぶちあたる度に、なんでおれはこんなことをやっているのかと思ってしまう。おれはただ適当に楽に生きて死にたいだけだ、あまり苦しみたくない。それだけなのに世間体のためにとても苦労しているという、明らかな矛盾がここにある。はっきりいってカオス、認知的不協和、おちんぽジョイナス。

自信が無くなってきた。やる気も失せる。でも僕が生きたい生き方をするために頑張らないといけない。そういう僕の求める生き方苦しみの根本だということが分かっていながらも、頑張っている。とにかく今日は落ち込んでしまったのだ。つらい。頑張る、頑張る。目的が空虚なものだと分かっていながらも。本当の意味で分かっていないからこんなことをしているのだろう。

平和な環境で安定した生活を送りたい。それで苦しみがなくならないと分かっているけど本当の意味で分かっていないからそれを目指してやるしかない。

あーやるしかない 不安でつらいけど

 


昼 たらこパスタ大盛り
夜 豚キムチ



さっきYoutubeでニュース見てたら、アメリカの学園都市で若者ホームレスが増えているらしく、その風景を見てすごい危機感を感じた。好景気や再開発で家賃が上がり、元々いた人が住めなくなってホームレスになっているらしい。好景気とはいってもアメリカは日本以上に格差社会だから、所得の低い層まで雇用に結びついていないのだろうな。しかも大卒で仕事見つからなくてホームレスとかも普通にあるらしい。アメリカでも底辺から這い上がろうと思ったらやっぱ王道はいい大学にいくことらしいが、卒業しても仕事見つからない→家賃高い→学費・奨学金も払えない→借金→ホームレス というように、底辺脱出しようとしてさらに窮地に追い込まれるみたいな最悪のパターンもあるとのこと(なぜ実家に帰らない?帰れない理由があるのか?というのはあるが)。普通に能力のある人でも仕事見つからないのが不況なんだなあ再認識した。そういえば僕らの就職活動も第二氷河期だったし。優秀な先輩や同期が泣きを見ていたなあ。このニュースで見たアメリカは好景気なのにスラムってるし不況感やべえ、そんな印象だった。



メガバン、儲かってないからリストラしないとやばいという話も見た。3万人?僕らが就職活動してた時(2012年)はまだ銀行は(陰りは見えていたが)、人気だった。それが今はもう全然らしいと聞いた。そらそうだよな、マイナス金利なんかされたら。結局銀行はたくさん貸しまくって信用創造しまくって利子で儲けるみたいな構造だから、ただでさえ好景気の今は借りてくれるところも少ないだろうし、さらにどんどん貸さないとマイナス金利で金は減ってくわけだからほんとうにやばい状況だなということが分かる。そして銀行員と言えば給料が高い巨大組織。まあそれは切らないとやってけないだろうなという感じはする。あと、動画でまた銀行同士の統合が進むみたいな流れを話していたけど、とりあえずくっついて時間稼ぎするっていう対症療法しかできないんだろうなという感じがする。

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久しぶりにニュースを見たら危機感感じた。資本主義経済はいつまでも加速して走り続けないと、維持できないシステムになってるような気がする。いまも負の遺産を後世に撒き散らしながら走り続けている。みんな逃げ切りたいしみんな責任を負いたくなくてなすりつける。それがまあ仕方ないよねみたいなアレになっているなあとか思ったし、そういうことにほとんどの人が自覚的でないのではないかと思った。

なんとか僕も逃げ切りたいなあ。


昼 惣菜パン(白身魚サンド・チョリソーエピ(ベーコンの代わりに辛いソーセージ))
夜 マーボー春雨(ピーマン・豚肉・にら追加)

この形式で日記を書くのは久しぶりだなと思う。いつしか勉強に追われまくって書かなくなっていた。それほどまでに余裕が無く切羽詰っていた。

またこうして書く精神的な余裕が出てきたのは、ある程度勉強が完成してきたからだと思う。まだ点数の伸びしろはあるけど、これ以上必死で勉強しても、それに見合う伸びが出ないだろうということがなんとなくわかる。限界効用の低下が分かるような段階に入った。だからまあちょっとくらい気分転換してもいいか、という気になっている。気が緩み過ぎないように気をつけないといけないけど。

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パエリアを食べたくなった。ツイッターで写真を見たから。コスト度外視で一度作ってみようか。魚介類もちゃんと買ってさ。パエリアは魚介のダシが出てるのがうまいんだよなあ。具と一緒に、風味豊かでちょっと固めの米をかきこむのはほんとうにいい。スペインに行ったときに、パエリア用の鍋を買おうと思ったくらいだ。




 

何度も同じようなことを書いている気がする。ということは、すなわち何度も同じようなことをしている、ということのなのかもしれない。書いている途中で、前にもこんなこと書いたなと思うことがけっこうある。ただ以前と違うのは、解像度が上がってるということだ。前よりも細かく観察できている、前よりも深く理解できている、前よりも全体の中での位置付けを正確に把握している、というように。だから当然書くことも変わってくる。より的確に、端的に表現できる気がする。が、あくまでも前と比べてまし、という程度で、全く洗練はされていないのだけれど。

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ブログを書き続けてたおかげで、文章を書くことに慣れた、というのはかなりあると思う。それを如実に体感したのはこーむいん試験の論文だ。こんなむちゃくちゃな文章を書きなぐって、格式ばった文章が上達するのかと思うけど、びっくりするくらいスラスラ書けるようになっていた。

好き勝手めちゃくちゃ文章を書きまくっていても、ここは明らかに筋が通ってないとか、このワードの使い方で意味にブレが出ているとか、後から見返して気付くことはたくさんあった。そうやって気付くことこそが、曲がりなりにも上達するステップだったのだろう。本番では論理を組み立てて、対応関係や一貫性を考えながら書くことができた(と思う)。これで落ちてたら笑える。おまんこ。

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某インターネット有名人が、「ツイッターはでかい精神病院だ」みたいなことを言っていたけど、ほんとうにそうだなと思う。言葉にすることで自分の内面を客観視することができる。さらにそれをつぶやくことで周りからのフィードバックもある。まずはそうやって「気付く」ことが現状を変えていく為の第一歩だから、ツイッターやブログなどの発信ツールは、自己治癒的な意味で重要な役割を果たしているように思う。


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久しぶりの試験の無い土日。先週まで4週連続試験だった。疲れた。でも徐々に「あ、解けてるな」という感じになってきたので、勉強のモチベーションはなんとか保ってる。やっぱり手ごたえみたいなのがないと、続かないよな、何事も。

今日はだらだらしてた。半分くらい勉強して半分くらいだらだらしてたという感じだな。疲れてるんだし仕方ない。昨日飲み会だったしなあ。

夕方、てんかにいった。激から汁なし坦々麺。前までは食べた後胃がむかついて吐きそうになってたんだけど、今回は全然ならなかった。卓上のにんにくチップを入れなかったからだ。前回までは辛さを恐れてにんにくチップで中和しながら食べてたから結構入れてた。だけど前回食べ終わった後、実はそんな辛くないし、胃がむかつくのは辛さじゃなくてにんにくチップのせいなんじゃないか、と仮説を立てた。その仮説を今回立証できたというわけだった。まあ相変わらずうまい。てんかの帰りにスーパーでジャンボを買って食べた。




仕事がひまだからとりとめのないことを書こう。勉強する気もしないし。昨日は職場の飲みだった。3杯のんだらもうかなり酔って話せなくなってしまった。酒にずいぶん弱くなったと思う。家でも全然飲まないしなあ。

酒はもういいな、という感じがしている。飽きたのかな、一連の流れに。酒飲んで、酔って、べらべら喋って、気持ち悪くなって、吐く。残るのはべらべら喋った時の罪悪感と吐き気。僕は酒飲むと人の悪口とか陰口を躊躇なく喋ってしまう。その時は一緒に飲んでいる人と秘密を共有して楽しいんだけど、後味のいいものではない。次の日に「あーこんなこといっちゃったなー」と後悔する。

これまでは、酒がないと本音を喋ることができないというのもあって、酒を正当化してきた部分もある。ただ今は、酒を飲まないと言えないことなら言わなくてもいいなと思う。本音を喋らないことで、人と仲良くなる機会を逃すということもあるが、まあ別に交友関係を広げたり深めたりしなくてもいいかなという感じになった。

酒も含めて、些末なものはもっと失ってもいいなと思う。嗜好品全般、趣味、主義主張、生き方、計画、プライド、そういう自分のアイデンティティを規定すると「自分が」思っている―それらはまるで海外旅行用のスーツケースについた剥がれかけたステッカーのような―ものを捨ててもいいなと思う。無ければないで生きていけるし、実際その方が楽な気がするし。

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生きていくことは、死に向かって一つ一つ選択肢を捨てていく過程に思える。10代や20代前半は選択肢が多く、可能性に満ちあふれていた(満ちあふれているように見えた)。それが現実に相対して、自分の性格や資質を知り、自分の思い描いていた理想に調整が入る。よしこれで行こう、と調整の入った理想の実現に希望を抱き歩み始めると、また上記のプロセスを辿り理想に調整が入る。こうして現実と自分の理想は収斂していくと思っている。一般的な人については。

いずれ死ぬ、結局これが生命の現実なのだからまぁあれだ、やりたいこと・やるべきことをすべてやることは多分できない。となると、結局は色々あきらめないといけないだろう。あらゆるものは有限でおちんぽジョイナスだということが分かってくる。

こーむいんを目指すようになった経緯

面接シーズンに入るにあたって、嘘を塗り固める必要がある。その前に、しっかりほんとのことを確認しておかないといけない。そう思ったので書く。

僕はストレートでマーチの大学に入り、ストレートで卒業した。文系の13卒だ。就活は買い手市場。僕が目指していたメーカーなんか人気で大手は説明会すらとれないとこもあった。マーチなのにだ。

そんな中で僕は大手になんか行けるはずがないと思っていた。元々コミュ障だし、売り手市場の就活戦線勝ち抜ける気がしなかった。実際大手は全落ち。esが二社通って、一社面接に進んだ程度だ。ちなみに全部メーカー。

メーカーを志望していたのは、「まだマシだろう」という理由からだ。大体文系の四大卒で非エリート人材なんて、できる仕事は限られている。準大手以下の銀行信金、IT(se,pg)、飲食、不動産、メジャーなのだとそんなところか。そんなブラックな選択肢に割と絶望していた僕の一縷の望みがメーカーの法人営業だった。

ルート営業なので既存顧客と仲良くしながらたまに売り込んで買ってもらえればいいみたいな甘いイメージを抱いていた。そこになんとか潜り込もうとしていた。

大手メーカーに全落ちした僕はそこまで落胆していなかった。はなから受かると思っていなかったから。むしろ、ここからが勝負どころだと思っていた。四季報や新聞をめくり、有報などの投資家向け情報を漁りまくり、中小優良企業を探した。

そこで出会った会社が前職だ。売上は大手の1/3程だが、営業利益率が高く、売上も安定して微増しているインフラ系部品の法人営業だ。エリア限定で異動がないのも魅力的に見えた。工場見学もしてまったりした雰囲気だなと感じだ。面接は2回。スッと内定が出た。

安心して入社した。が、だ。ここからはかこの記事でも色々書いているように、三年経たずに辞めてしまった。

過去記事一
過去記事ニ
過去記事三

簡単に自分が仕事を無理になった原因を考えてみる。

①仕事内容自体合わなかった
②上についた人が部下潰しだった
③組織の歪みのど真ん中に置かれた
④仕事に対する認識が甘すぎた

こんなところだろうか。とにかく無理になった。会社に行くのが辛すぎた。電話を取るのが怖くなった。いつもストレスを感じていた。相対立する上司の間で板挟みになり、仕事が進まない。もう毎日パニック状態になっていた。何もできなかった。何にも自信を持てなくなった。過食で10キロ体重が増えた。朝はほぼ毎日下痢をしていた。退社時に吐き気を催した。営業会議の日に、もう辞めようと思い、電車を乗り過ごした。そこから会社にいくのをやめた。在席期間2年9ヶ月。

会社自体はブラックではないし、残業時間も月20位ですんでいた。ただ人間関係がこじれにこじれて無理になった。僕の置かれた人間関係がブラックだった。何もうまく行かない。何をしても怒られる。何もしない方が、僕なんかいない方が確実に会社のためだ。そう思ってしまうほどに僕はダメだった。

正直今でも整理がついてない部分がある。全部自分が悪かったのではないか?ほとんど会社の体制がクソだったのではないか?両極端に考えがブレることまである。

組織の中の胃痛ポジションに置かれて、仕事がしにくい環境だったのは間違いない。与えられた仕事のレベルが経験年数に比して高かったのも間違いない。自分が苦手なことが多い仕事内容だったのも間違いない。これらが意図された不利益取り扱いだったかは分からない。自分が甘かったのも間違いない。悪循環にハマってしまった。そこから抜け出すことができなかった。

辞めてしばらくして民間就活をするか、公務員試験をやるかという選択肢を迫られ、民間就活をしながら公務員試験をやろうというあれになった。営業は無理だ、絶対。そう思った僕は民間就活でも事務を中心に受けていった。

しかし、ジョブチェンジー職種変更での転職活動ーはきつい。しかも事務なんて人気職種はなおさら無理、簿記会計法律無資格なのに。中小メーカーの総務を受け、落とされて悟った。これはきついぞと。

そして公務員試験にシフト。だらだら受け続けて今に至る。

と、その前に今の仕事でヒジョウキン職員になったのだった。無職が耐えられなかったから。あと、ヒジョウキンでも事務やっとけば理屈通るしね。無職でいきなり公務員志望するよりは説得力ある。

僕は仕事を消去法でしか決めていない。なぜなら、ほんとうは仕事なんてしたくないからだ。ならなぜ無職を続けられなかったのか。それは世間体やプライドに耐えられなかったからだ。僕の友人は大体立派でエリート街道を進んでる人も多い。だからこそ、そういう友人に顔向けできない。それに耐えられなかった。

結局、辛い状況から逃げて逃げて今の選択をしている。僕はそういう情けない生き物なのだ。

そんなんじゃ、こーむいんになっても仕事を続けられないのでは?と思ったらそうでもなさそうなのだ。これは僕の現地観察から分かったことだ。こーむいんの仕事は職務分掌が明確で、均質化・簡易化されており、誰でもできるようになってる。だからなんとかやってけそうだと思っているのだ。

というクズっぷり。非合理で矛盾ありまくり。楽な方へ逃げてるだけ。それでいて社会的身分はほしい。都合の良すぎる人間だ。真面目系クズとはこのこと。

一人暮らしを一年やってみて

久しぶりに書く。最近はしけんに追い込まれてそれどころじゃない。ツイッターすらほとんどやっていない。そんな中で書いているのは集中力が切れたから。何か気分転換に書こうかと思っていたら、もうすぐ一人暮らしを始めてから一年経つことに気がついた。昨日保証会社にお金振り込んだし。なので書こう。

一人暮らしは、憧れではあった。親を離れて自由にやりたかった。いい加減自立したかった。実家が息苦しくなっていた。たぶんこれはある程度年を重ねたら自然に思うことなのだろうと思う。親や兄弟との関係が悪くなったわけではない。ただ、一回距離を置かないとなんかおかしくなりそうだった。

そんな感じで半ば衝動的に一人暮らしをはじめた。それから一年。なんら問題なくやれている。金の管理もできる。飯も作れる。掃除も洗濯もできる。僕は昔から自分のことは自分でしっかりできるタイプだった。長男で親は弟妹にかかりっきりだったからだろう。一人で不自由なくやっていける。一人は気楽で心地よい。

ただずっとこれはきついなあ。寂しいし空しい。完全に自分だけのために働いて、稼いで、生活して、消費するのが一人暮らしだ。それを実感する。今は目標があってそれに向かって生きているからいいけれど、何の目的も無くこんな生活をするのはどうなのだろう。だからといって、人と生活できるのかといったらそれはかなり微妙ではあるんのだけど。


金曜夜

4/20金、仕事を終える。最近は作業が増えてきて19時くらいまで残っているな。ただ大体ケリはついたので来週からまた定時退社をする強い気持ちを持つ。

仕事を終えて、まっすぐ家に帰りたい気持ちもあったが、今日は湯けむりの庄にいくと決めていた。結局いつもは土日どちらかで温泉にはいくのだけど、半日つぶれてしまうのでもったいないなと思っていたから。

定食屋でぎょうざライスを食べ、おなかを満たして地下鉄にのって下る。JRと違って駅が多いのでかなり時間がかかった。ずっとツイッターをやっていた。

綱島に到着。暗い中大綱橋を渡るのは初めてだ。いつも大体夕暮れだったから。夜は対岸のラブホがライトアップされていて、なんともいえない気分になった。きれいとも言い難いし、ああラブホがあるなと。

湯けむりの庄へ到着。金曜夜はやはり空いていた。これが土曜日曜となると入館待ちになることもあるし、それで行くきがうせることもあるから好都合だ。

短めに風呂に入って出る。休憩室でテレビを見ていたらコナンがやっていた。アニメなんかみるのは久しぶりで、結構夢中になっていた。映画前予告のスペシャルだったっぽい。

コナンが終わったら72時間を見た。国道45号線を北上する中で出会った人と話すみたいなあれ。これをぼけーっとしながら見るのはすごい好きだな。精神の回復を感じる。

72時間も終わり、ザッピングをしていたらモンテカルロでにしこりとチリッチの試合がやっていたので少しみた。テニスをボーっとしながら寝落ちするのもいい。

気がついたら23時半になっていたので、綱島まで戻って終電で家に帰った。金曜が充実していると全体的に休日が長く感じるのでこの過ごし方は今後もやろう。

自分というのは実はなくて

ツイッター巡回の成果物

「見えないパワハラ」の体験



わかる。超絶わかる。かくいう僕もほぼこれに該当するパワハラで前職を辞めた。(前職の僕の指揮系統そのものがカオス過ぎて遅々として仕事が進まないというのもあったけれども)この「見えないパワハラ」という言葉がすっぽり当てはまるような仕打ちを日々受けてきたと思う。

僕の指導者(3人いたうちの1人)が、この「見えないパワハラ」を行う当事者だった。僕の前任は1年で仕事を辞めた。だから僕が追加要員で急遽採用されたのだった。ということが辞めた今ならよくわかる。前任の教育担当は典型的な部下潰しだった(過去何人も潰してきたらしい)。社内でも社長含めて全員がビビっているような人だった。係長なのに。

というかまあ、係長だからこそ、あんなパワープレイができたのだな、と思う。一番営業の現場を知っていて、一番結果を出していた。一番実力があった。管理職の責任もない。だから一番声がでかく、腕力で社内の生産工程・開発工程を自分の有利なようできた。10年近くも同じ大口の取引先を持ち、いうなれば好き勝手やっていた。

入社して一年弱、新入社員の僕に悲劇が襲い掛かる。そのパワープレイ係長が10年担当してきた大口取引先を僕に引き継ぐというのだ。はい、完全に会社が僕を使ってメスをいれましたね。これは僕にもわかった。僕は都合のいいワラ人形として使われたのだ。もちろん別の意図もあったのかもしれないけど、確実に主要な目的はメスをいれること。

ということで、僕はそのパワープレイ係長から仕事を引き継ぐということになったわけだ。ここから地獄が始まった。その地獄がツイートで引用した「見えないパワハラ」だ。箇条書きの部分はほぼやられた。それに加えて「見えないパワハラ」が、さらに見えにくくなる要因があった。それは「遠隔地からの指導」である。

僕が新卒で就職した会社は関西の地場企業(メーカー)で、そこでのエリア限定法人営業要員だった。エリアは関東で、基本的には東京支社での勤務とされていた。それが会社の組織変更でめちゃくちゃになった。本来交わるはずのない関西本社との取引先担当シャッフル。そして上記のパワープレイ部下つぶし係長から担当引き継ぎのコンボ。

つまり入社1年で、僕は電話とメールだけで大口担当を引き継ぐことになったのだ。それも部下つぶしの係長から。これで状況が外から見えなくなってしまった。誰も僕を助られないし、僕も入社早々どう助けを求めればいいかわからない。誤解されて東京支社の上司が敵になったこともあった。みんな、泥沼にはまる僕を遠巻きに見ていた。そこから2年、沈んでいった。

結局その係長は自分の大口担当を離したくなかったに違いない。はなから引き継ぐ気はなかったのだと思う。だから僕に巧妙に「教えたフリ」をしては叱り、自分の地位を守っていたのだと思う。僕は完全にカタに嵌められていた。僕を追い詰めながらもアメとムチを使い分け、自らを尊敬させるように仕向け、僕を依存させていた。

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今考えると、上記ツイートのような「見えないパワハラ」はあくまでも手段だ、ということに気付く。パワハラをする当事者が自己の地位を守る為、上記の手段を使って、部下を教育せず突き放し、自己防衛しているのだ。本質的には。

自分の会社での居場所を失わないため、危険を感じたら「見えないパワハラ」で人を潰す。そんな構図なのかなとも思った。「見えないパワハラ」なら責任追及もしづらいだろうから。

僕はそんな「見えないパワハラ」の格好の的になって新卒カードの会社を去った、というお話でした。

 

 

先月よくきいた曲

 

 

 

 

 

1.綱島湯けむりの庄
2.いわしトマト煮
3.夜のスタバで勉強

1.綱島湯けむりの庄
いつもと変わらず良かった。サウナ10回くらい入った。風呂から上がって久しぶりにテレビを見た。大食い激辛やってた。大食いはあんま気分良くないけど、激辛見ると辛いもの食べたくなるな。てんかに行きたくなってきた。

2.いわしトマト煮
いわしが一尾60円とかだったのでトマト缶と一緒に買って一緒に煮た。たまねぎとレンコンも一緒に。コンソメとオリーブオイルを入れて。いわしの内臓取り除くのはあれだな、ちょっと残酷なことをしているなと思う。まあ食べることは全てそうだ、命を食べている。でもうまかったのでまた作るかもしれない。

3.夜のスタバで勉強
20時過ぎに家を出て近所のスタバで勉強した。商業地に住んでるとこういうことが簡単にできるからいい。

 

発達障害(ADHD・ASDなど)の症状にわかる~ってなったり、発達障害をもっている人に親近感を感じるのは僕自身もそうだからだろうか。今日も仕事は忙しくなかったのでいろいろと読んでいた。

http://toyokeizai.net/articles/-/213254
https://twitter.com/himeno_kei/status/976997136201007104
https://twitter.com/syakkin_dama/status/975744657337430016
https://twitter.com/i/moments/975188630426628097

知能検査WAISⅢ受けようかなあ。明確に発達と診断されることはないにしても、僕自身の性能というものが多少なりともわかるだろうし。強みや弱み。

ブログ、書いてないことはないんだけど結構みんな見てるなって感じたのでツイッターにリンク貼るのは避けていたというあれ。



皿うどんを作って食べた。具は小松菜、キムチ、れんこん、たまねぎ、豆腐。うまかった。



そうか、僕はやっぱり好きだと思いたい。さっさと恋愛を切り上げて結婚したい。そういうことがあるからあの人のことを好きになろうとしているのか、と思った。もちろんあの人は天真爛漫で魅力的だ。でも、あの人ではない人を好きになってなんちゃらしてもなんのあれもないわけで。勝手に自分をストーリーの中において、運命的なものを感じているだけだ、多分。



また酒を飲むようになった。一時期は立ち飲み屋にはまっていたけど飽きた。結局また家で飲むようになった。季節的なものなのか、あったかくなってきたから炭酸がうまいのかもしれない。控えめにはしている。ストロングはだめ、変な酔いかたするし。



いろいろあって、女性にそんなに嫌われてないんだな、と思うようになった。もちろん恋愛対象からはカットされてるんだろうけど、普通に接すれば、普通に対応してくれる、ということに今更気付いた。僕は怖がっていた、ずっと。でもそんなに恐れる必要もない。普通に接すればいいのだ。普通に接して、あ、合いそうと思ったらちょっとずつ仲良くなってけばいいし、合わないなと思ったら普通に接し続ければいいだけだ。男の友達とそんなに変わらない。多分。仲良くなれそうな人とだけ仲良くすればいい。

書くことは考えること。考えてることを書く。書きながら考える。というように、書くことには考えることが伴う。文章ともなると、ある程度まとまった考えたかたまりみたいなものが必要になる。

最近ブログをそこまで書かないのは、あまり考えないからだ。考えることってあんま意味無いな、と思うようになってきて、本当に考えることが少なくなってきた。ボーっとしていることが多い。

あんまり考えなくても生きることはできるし、むしろ考えないほうが楽に生きることができるなと感じているから、こうしている。僕がいう考える、はほぼ悩むと同義だし、それだったら考えないほうがましだなと。

ツイッターで10秒以上の思考は悩むことだ、みたいなことを言ってる人がいて、ああまさにそうだなと思った。本当は考えるのに時間なんていらない。現在地点を把握し、明確なゴールがあり、必要な材料があれば思考なんてすぐ終わる。

180312~16

やっぱり僕はあの人が好きだ。ずっとあの人の笑顔を見ていたい、声を聴いていたい。見えない瑕疵があってもかまわない、そんなものは全て余裕で相殺できる。そう思えるくらいに愛しいな。

だめでもいいし、それはもう仕方の無いことなのだけれど、思いを伝えるとこまではいきたいな。そう思った。あなたを想っている人が一人ここにいますよと。

・同僚とホワイトデーの贈り物買い→とりき飲み
・職場で銀だこ飲み
・蒲田まるやま食堂とんかつがめちゃくちゃうまい

誘うことが苦手



昔から友達なり異性なりを誘うのが苦手だなと思った、そういえば。人の気持ちなんてわからないし、察するのも大変だし面倒だ。

人を誘うとなると、気持ちを察し、誘ってもいいかどうかを判断しないといけない。この過程が僕にとっては結構苦しくて、なかなかできない。気を使いすぎたあげく、しどろもどろになってしまう。

それだったら誘われたのだけにいけばいいや、という考えになってしまった。相手の気持ちを察する必要もないし、嫌な人から誘われたらあいまいに断ればいい。そっちのほうが圧倒的に楽。

そもそも人に会いたいという強い気持ちをあまり感じたことがない。この人と話したい、飲みたい、というような。

それは僕にとって交友関係はオプションに過ぎないのだからだと思う。あれば楽しいけど別になくてもいい。多すぎてもあまりよろしくない感じ。

あればいいという程度のものなのだから、積極的に求めるというほどのものではない。僕にとっての自然な交遊の導入の形は誘われる、だなと思う。

死についてざっくり


誰も書かなかった「死の壁」をどう乗り越えるか
http://bunshun.jp/articles/-/6540

死の壁について
http://bunshun.jp/articles/-/6540?device=smartphone&page=4

具体的な死の話。地域包括ケアの重要性も書いてあり、自治体と医療の連携が今後なくてはならないものになってくることがわかる。

また、今後は在宅医療中心にならざるをえないことも(病床を増やすことは財政面・人材面両面からみて現実的でない)重要で、その流れに向けて人々の認識が変わっていかないといけないことも課題としてあるとも。

後半、死の壁(死を迎えると客観的にどのような兆候が見られるかなど)の話を読み、正直死が怖いと思った。自分が死を迎えることも、親の死を見届けるのも。

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去年の4月に母方の祖父が亡くなった。自宅で穏やかな死だったと聞いた。客観的にはそうだったかもしれないけど、祖父自身の感じ方なんて誰もわからないしなあとも思う。もしかしたら滅茶苦茶に苦しくて、ただそれを表現できなかっただけかもしれない。わかんないけど。

死っていうのは、生きてる人の中で経験者がいないから、だれも経験者に死について聞くことができない。誰も死について正確に知ることができないから、恐れの対象となっているのだろうな。

まあ恐れても恐れなくても死はやってくるし、いつ、どのような形でやってくるかは何もわからない。だから考えても仕方のないことなのだろうと思う。ただ、死を受け入れる心の準備をすることは生前の課題なのかもしれないとか思った。

こんなのもあったhttps://www.buzzfeed.com/jp/seiichirokuchiki/arigato-ietanara-yukari-takinami?utm_term=.saNYzqdxY#.okPwj89gw

18.3.12mon

昨日飲みすぎて朝はいた。立ち飲みや→ストロングゼロ500でのんじゃったからなあ。しかも喘息も出るというありさまで、あまり寝れなかった。だからもう今日は仕事いいか、という気分になっていた。どうせ行っても仕事ないしなあ。ということで休みの電話を入れた。

落ち着いたら外出。亀戸餃子へ。休日はいつも長蛇の列なのに、今日は全然だ。入店しても空席がある。平日と休日でこうも違うんだなと実感した。こんなんなら平日二日休みとかでもいいかなとおもう。

そして亀戸餃子はやっぱうまい。餃子の味のバランスが絶妙だ。肉汁・野菜・大きさ・皮の厚さ・薬味系の量。初めて食べた人は個性を感じず物足りなさを覚えるかもしれない。だが三回くらい通って、ほかの餃子と食べ比べると分かる。いかにこの味が希少かということに。25個(5皿)食べて退店。満足感がすごい。並ばずに入れて、店外の列からのプレッシャーも感じず余裕綽々で食べられた。

川崎のエクセルシオールへ。勉強した。

家の近くのスーパーへ。買い物をしながら思う、いろいろうまくいった暁にはなにかご褒美をあげようと、自分に。それも特大特濃の(例えば飽きるまで毎日風俗にいくとか)。そうでもしないとやってられないな、メンタルがきっつい。

自己紹介

埼玉出身→男子高→まーち→法人営業(13卒)→3年で辞める(メンタルが死にそうになった)→約1年無職→スペインモロッコ旅行→どっかの小腸でひ常きん職員→去年からよこはまで一人暮らし

今はこーむ員試験に注力しています。あまり不安なく心身をすり減らさずに安全に食えたらいいなという価値観になりました。金も地位もいらない、心身の健康と収入の安定さえあればいいなという感じ。とは思ったものの社会的地位とプライドは捨てきれないのでこういう選択をしています。矛盾だな。

スペックの自己評価としては、全部平均かそれ以下だと思っています。まあ受験は失敗しなかったから(成功でもなかった)、知識をぶち込むのは苦手ではないという自負があって、それゆえ今の選択をしているというのもあったりします。

そして、たぶん軽くASDがあります(なので法人営業が無理だった説もある)。仕事上のコミュニケーションが難しい。ただ人と仕事によってはなんとか修正でいけると思う(今はうまくやっていると思う)ので頑張りたいです。

あとはまあ去年から一人暮らしをして、あーこれは向いているかも、と思ったことはプラスだなと。要は手取り13万の生活保護レベルの収入でもあまり我慢せず十分やっていける。欲が少ないので浪費しないし貯金もできます。支出を抑えて省エネ系の生活は結構できるなと実感しています。

まとめ : なんとか役人試験に通って、なるべく楽して安心安全に生きて生きたいなという感じです。

おしまい

趣味 : ツイッター・ブログ・オフ会・ジャズを聴く・温泉・風俗・旅行・自炊・書道・テニス・瞑想(テーラワーダ仏教)など

できること : ツイッター・ブログ・html(簡単なホームページ製作経験あり)・書道(段とか忘れた、楷書・行書・隷書それなりにかける)・単純作業を淡々とやる・普通自動車運転・料理(簡単なやつ)・水泳・節約・貯金

受かっていろいろ落ち着いたらやりたい企画

・風俗に何日連続でいけるか
・一週間毎日同じ時間に同じ女の子を指名してみる
・noteに書いて公開 課金記事 めっちゃ濃い記事を書きたい 自分の思い出として書き残しもしたい そういう思いでも作りたい
・音声取って聞きたい人に課金する
・毎日いきなりステーキ
・毎日ホテル住まい

自己紹介

生きとし生ける生命が幸せでありますように
May all living beings be well, happy, and peaceful.

Twitter : @momentarou
Mail : momentarou [at] gmail.com
▽More

誰とも話したくないけどにぎやかな場所にいたい


誰とも話したくないけどにぎやかな場所にいたい時がある。

疲れるから話したくない。でも人気は感じていたい。寂しがり屋なのかもしれないけど人と話すほどの接触は求めていない。孤独に耐えるか、人と会って会話して消耗するかを天秤に掛けたら、だいたい孤独に耐えるが勝つ。それでもやっぱり人の気配は感じていないと気が狂いそうになる。

だからツイッターを開く。だから街に出て人ごみにまぎれる。だから立ち飲み屋に行って飲む。だから温泉に行って知らないおっさんたちとお湯につかる。みなそれぞれ他人で、ただ場を共有しているだけという環境がいいのかもしれない。

ちょっと前、フォロワーと会ったときに似たようなことを話して、それだったらシェアハウスとかいいんじゃないですか、と言われた。でも自分の中でなんかそれはやだな、と思ってしまった。僕にとっては、シェアハウスのつながりですら濃すぎるのかもしれない。家という完全にプライベートな空間はほしい。孤独だけど快適ではあるし。

だから基本一人でいて、元気なときは人と遊んだりするし、そうでないときで寂しいときは、上記の行動をするというのが自分にとってちょうどいいなと感じている。

18.3.10

180309

今日も仕事が無かったので適当についったーをみていた。
労働者の心構え

労働者の心構えその2

3時ころ、職場の空気が良くなくて息が詰まりそうだったので外を散歩した。とても気持ちが良い。

家の近くのつけ麺屋の鶴嶺峰にいった。まあうまかった。

そして今はストロングゼロダブルシークワーサーを飲んでる。今週は割りと頑張って勉強したつもりだし。

180308

最近毎日が同じなので書く必要がない。月曜から毎日皿うどんを作って食べている。栄養はちゃんととれてるしこれ完全食になりえるのではないか。

それに加えて今日は長いもを一本すって、生卵と醤油と混ぜて食べてる。うまい。

18.3.5


昼 大盛りパスタ(たらこ) せんべい
夜 からあげ棒 ストロングゼロ 皿うどん コーンスープ 納豆

特に書くことも無くまんこ。焦り始めた。時間があまりない。やることをやるしかない。がんばろう。

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皿うどんは楽でいいな。

18.3.4

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18.3.3

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日記 金沢5

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川端鮮魚店でも、メイド居酒屋でもしこたま飲んで、カプセルホテルに着いたのは午前2時。ここからがきつかった。僕の苦手な乾燥だ。しかもあつい。飲みすぎたということもあって、10回くらい吐いた。胃液しかでかなったけど。ちゃんぽんがいけなかったんだろうな。

朝、10時のチェックアウトのアナウンスで起こされる。フォロワーに連絡。今起きましたと。そう、昨日の時点で今日も会う約束をしていた。僕が和倉温泉に行きたいといったら車を出してくれることになったので。

金沢市内から和倉温泉までは1時間ちょっと。距離にして70キロ。のと里山海道をとばせばわりとすぐにつく。運よくいい天気だ。この時期の北陸はほぼ曇りか悪天候と聞くし、本当に運がいい。仕事がむちゃくちゃになって衝動的に和倉温泉に来たときもめちゃくちゃいい天気だったな。あの時は夏だったけど。その時を思い出した。またいい思い出が一つ。

和倉の総湯に入る。総湯というのは、温泉の固有名称ではない。簡単に言えば銭湯と同じ意味だ。銭湯はただのお湯なのに対して、総湯は温泉。つまり安い温泉ということで、つまり最高ということ。440円。知ってる口ぶりだけど、今のくだりは帰ってきてから調べました。

フォロワーと入る。泉質が本当にいい。つるつるになる。天気もいいから露天風呂なんか最高だった。あーいいっすね、最高と何回言い合っただろう。何回でも自然と出てくるくらい良かった。

その後は近くの食堂で飯を食って、金沢市内まで送ってもらい解散。

とても良い旅だった。

おしまい

日記

朝 たけのこの里
昼 弁当
夜 ぎょうざ ストロングゼロ 緑のたぬき コーンスープ

何も無かった日は何も無いから書けない。いろいろあった日は家に帰るのが遅くなるし、内容も濃いから中々書けない。今日は後者。

また同僚たちと遊んだ。もちろんあの人もいる。ゲーセン・バドミントン・バレー・卓球など。まあお台場のあそこで。まずフードコートで飯を食う。ストロングゼロを持ち込んで乾杯(ほんとはいけない)。もうこの時点でめちゃくちゃ楽しかったし充実していた。

それから上記運動をやった。みんな酔いが回ってヘロヘロだ。バドミントンとかすかりまくってた。ハイになって笑いまくってたし。あの人は一際はしゃいでいた。一番年上なのに。ふらふらなフォームなのに一丁前に一本足打法をやろうとしていたのがかわいい。

前回もそうだけど、こんな楽しくていいんだろうかと思うくらい楽しかった。大学以来だな、こんなにはしゃぐのは。しかもなんかみんな連帯感もあるし。学生気分だ。

吐きそうになるくらい運動してそのまま帰宅。緑のたぬきを買って家で食べた。酔った日の締めの定番になった。

僕があの人をいいと思うのは、単純に仲が良くて、分け隔てなく接してくれるからかもしれない。これまで僕にはここまで仲良くなった女の人がいなかった。だからこの人しかいないんじゃないかと思ってしまうのだ、多分。

もちろんとてもいい人だ。可愛らしいし、素直過ぎるくらい素直。でも僕は好きだと思いたいだけなのかもしれない。なんとなくそんなことを思った。自分の気持ちが全然わからない。

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今まで僕は、女性には嫌われてるという前提で接していた。多分それが前提に過ぎないことに本当に気付きつつあるのだろう。僕と好意的に接してくれる女性は少ないけれどもいて(そういう女性がどういう人なのかも分かってきたかもしれない)、そういう女性に並んで順番待ちをしてればもしかしたらワンチャンいけるみたいな。

以上ちんぽの寝言でした。